散歩道<98>
                    人生に無駄はないのか? 

1、最近考えていることに人生には無駄はないとよくいうのが最近の私の癖であるがごく限られた自分の経験の判断であって、正しいかどうかはもう少し時間が必要である。当時塾に通うことは何か技術を身に付ける事が必要と、判断した親がやらせてくれたことと思う。自分が経験したことの中で、珠算塾に通った事はその後の人生に意味があったかという問題に長い間結論を出せずにいたが、無駄でなかったというのが結論である
 当時の悔やみは
「このことをやっていて、いずれ何か役立つ事になるの?かという疑問をいつも抱えていたように思う、時間が取られるという事実にいらいらしていたようだ。
そこで多くの先輩の人生観を聞く事が出来た
技術的な点からこの問題を考えても、対象になるパソコン(EXCELLのような機能と比較しても小さい時に鍛えたおかげで、人より早く指が動かすこと暗算力?忍耐力、集中力が身についたこと等メリットがあったのではないかと思っている。
備考:計算機が出たのは昭和53年ごろ、ワープロが出たのは平成5年ころ、パソコンは平成8年後半ぐらいに世に出た

備考:社員時代に考えていたもう一つの(無駄)散歩道<119>の
「切抜」のことであったようになった。関連記事<177>無駄、無理、斑

2、無駄とか斑とか無理とかどちらか言うと否定的に取られている言葉のようだが世の中ではその無駄を?経験してこそ、その経験が次の飛躍につながることの方が多いのではないかと今、思うようになった。人生やはり経験なのだ。
2010年10月10日
備考:文化とは無駄のところからしか出てこないものらしい

3、このことに関して自分なりに疑問に思っていることがある、例えば苦手な科目など取らずに人生を生き抜くことが出来るかという問題である、私が思うに人の人生では多くのもの事は平等に試させられるのではないかと考えている。理科の嫌いな人、数学が嫌いな人、英語が嫌いな人も人生では好きな人と同じように後から前を向いて歩く人には好き嫌いに関係なくそれを経験するようなチャンスが来るようになっていると思っている。

4、今思うことは経験は活かされてはじめてその意味が発揮できるのである、一つのハードルを越えればより高い対応が出来る、そのためにも中途半端ではあまり意味がない(この場合は無駄である)ともいえる。

関連記事:散歩道<742>
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