散歩道<969>
風知草・成果主義成り立つわけ
日本固有の社会制度のそれぞれが、個人主義の否定の上に成り立っていることを、常日頃、私は痛感している。会社や官庁における年功序列の賃金、昇格制度、偏差値による大学の格付け、小・中・高校の制服、冠婚葬祭の「制服」とされる黒の略式礼服、職業探しする女子大学生の「制服」、等々。個性を没却させること、そして競争による格差の生じないことを、これらの諸制度はモットーとしている。表向き日本は、自由で競争的な市場経済を建前としているが、日本型の制度、慣行は見事なまでに競争回避的に設計されている。中国人は競争を好み、能力や努力に応じての給与格差はあって当然のことだと考えている。中国の国立大学教員の基本給は、ほぼ年功序列で全国一律に決まっている。ところが、年々の「業績」に応じて決まる成果主義的給与が基本給に上積みされる。その結果、大学教員の給与の高低格差は10倍にも及ぶそうだ。又、病院にゆくと、診療科ごとに医師の名前がズラリと掲示されており、その格差もまた10倍にも及ぶそうだ。経験豊富な名医は、新米医師の10倍の診察料を払うのはあたりまえだと中国人は考える。他方、日本人の多くは、大学教員であれ医師であれ、そうした格差をあってはならないことだと考えるようだ。アメリカの大学教員の給与の決まりかたもまた、中国と同じく、業績(成果)主義が徹底しており、給与や地位と年功の間には、きわめて薄い相関関係しか認められない。学者としての業績を挙げる(論文を書く)事に懸命になるか否かは、各人の選択の結果である。教育者としての重責をちゃんとこなした上で、余った時間を業績のためにではなくジョキングや水泳に費やす、健康第一の生活を選択する教授の地位と給与が低いのは当然のことであり、全ては各人の選択の結果なのだ、と個人主義社会アメリカの大学教授は考える。要するに、人間の価値観が多様であること、そして相対主義的なものの見方、すなわち価値観の間に優劣のないことが当然視されているからこそ、中国やアメリカで成果主義が成り立ち得るのだ。
'06.3.10.朝日新聞 京都大学経済研究所所長 佐和 隆光様
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