散歩道<968>
風知草・人と関わり幸福実感
豊かさという言葉の意味は必ずしも明らかではないが、それを計る物差しの1つが1人当りの国内総生産であることだけは確かだ。GDPが成長することは、経済が量的に拡大することを意味する。1990年代初め、1人当りGDP競争で日本は世界一の座を射止めたのだが、名目成長率がマイナス続きの為、今では9位まで落ち込んでいる。GDP成長は「社会全体の達成度」を計る物差しでないばかりか、その国に住む人々との「幸福」度の物差しでもない。40年代後半から60年代に掛けてのころ、日本の1人当り実質成長率は、今日のそれのたかだか5分の1程度に過ぎなかった。とはいえ、「貧しい」社会の中を人々は懸命に生きていた。学びがいと働きがいを実感できるという意味で、人々は「幸せ」を実感していたのだ。50年後半から60年代前半にかけて「3種の神器」(白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機)を手に入れた時に味わった幸福感、そして60年代後半以降に3C(カラーテレビ、カー(自動車)、クーラー)を手に入れた時に味わった幸福感はいかほどのものだったのか。今日、私たちが実感する幸福に比べれば、想像を絶するばかりの大きな幸福感の味わいだったに違いない。近年、ニートやフリーターが増加しているのは、学びがいと働き甲斐の喪失を物語って余りある。もともと経済的な豊かさへの日本人の要求は、存外、淡白なものかもしれない。実際、アメリカのお金持ちのように、週日、ニューヨークで働き、自家用機で駆けつけたコロラドの別荘で終末を過ごすといった生活は、日本人の趣味に合わないせいか、もしくは、それだけの空間的余地がないせいか、日本ではほとんどあり得ない、お金持ちのライフスタイルである。「幸福」の源泉は「参加」の意識である。あるいはコミットメント(使命感)とシンパシー(他人への思いやり)である。所得と消費が果てしなく増加したからといって、人間は幸福を実感できるわけではない。参加、使命感、思いやりのいずれもが、他者への関わりなのだ。人と人との関わりのあり方を見直す必要がありそうだ。
'06.2.10.朝日新聞 京都大学経済研究所所長 佐和 隆光様
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