散歩道<927>

                      経済気象台(25・プロフェッショナルと教育

 各界において「外資」の進出が著しい。実業界に身をおいていて、感じることの一つに、日米のプロフェッショナル格差がある。プロフェッショナルの質・量にこれほどの格差があるのはなぜだろう。?その大きな理由の一つが教育のあり方であるような気がする。米国で生活した時のこと。小学校2年の娘が宿題を持ってきた。課題はある新聞記事について自らの意見をまとめるということ。米国ではこんなに幼いころから自分の意見を形成することを求められるのかと驚いた。又、小学校のころから、科目によって、属するクラスも異なることを知った。英語で才能のことを「gift」と言う。確かに人には1人1人違う「gift」が与えられている。日本では満遍なく出来ること、苦手を持たないことが大切にされている。一方、米国ではその子が持っている強いところを伸ばす教育が行なわれている。その学校では日本の学芸会の代わりに「タレント発表会」なるものがあった。ダンスの得意な子はダンスを、ピアノの得意な子はピアノを、数学の得意な子はそのデモを、などと、それぞれ「gift」を披露する。子供達は自分の持ち味を自覚するとともに、友達1人1人の「gift」を認識し、尊重するようになる。不得手なことを平均レベルまで引き上げるエネルギーの質・量と、得意技をさらに研ぎ澄ますそれには、品質的な違いがあると思う。これが10年、15年と蓄積されると「gift」のとがり方に圧倒的な差がつく。わが国にも、「好きこそものの上手なれ」ということわざがあるが、正にそういうことではないだろうか。プロ層の厚みの彼我の差は実業界にとどまらない。スポーツ、芸術、エンンターテインメントにまで及んでいる、今年もまさに受験シーズン。そろそろわが国も文部科学省主導の平均点教育・悪平等授業から脱皮すべき時かもしれない。

'06.3.朝日新聞