散歩道<896>
大集合(416)・1727・ 面白い話(102)・二枚舌(にまいじた)・沈黙・結構
1725、 佛教十悪の一つ「二枚舌」(にまいじた)
「奉行職二枚一枚お聞き分け」という江戸川柳があるところをみると、今も昔も、被疑者が「二枚舌」を使うのは、罪をのがれるための常套手段だったようだ。それだけに、裁くほうも本音を探るのに一苦労したわけだが、もともとこの二枚舌、二人の人間に別々のことを言って、両者を仲たがいさせることをいい、佛教十悪の一つに数えられているほどだ。時代を問わず、人を問わず、二枚舌は人間についてはなれない性向といえるのかもしれない。そこで、奉行職、仕事柄、「舌二枚、晴れて使うは通辞(通訳)なり」と、外国語と日本語を使い分ける通訳をうらやましがったりもしたらしい。が、通訳が二枚舌を使って誤訳したかどうかは不明だ。樋口清之様
1726、 日本人は沈黙を聞いている
日本人は音を聞いているのではなく沈黙を聞いている。(音の中の文化・小泉文夫様の本から)
1727、 日光を見るまでなぜ言えない?「結構」
「日光を見るまで結構というな」とは、それほど日光が結構な場所ということだ。しかし、古人はこの言葉に、もっと深い意味をこめていたフシがある。結構とはもともと、建物の組み立てぐあいを指す言葉で、昔の人は、建造物を褒めるときに、「構築がすぐれている」ことを「みごとな結構だ」と言い表した。それがだんだん「結構」と言うだけで、みごとなことを表すようになったという。日光の中心はやはりすばらしい建物だから、「日光を見るまで結構というな」は、けだし名言ということになる。この伝でいけば、食べ物を断る「もう結構」は、「すばらしい建物のようなおいしい料理を、もう十分いただきました」を一言で言ったことになろう。樋口清之様