散歩道<890>
大集合(410)・1717・慈悲を語る・縁起の教え根本(1) (1)〜(2)へ続く
できることから実践、あらゆる命かかわりあう
1717、 日本人はこの400年先祖を供養したら先祖が守ってくれるという「先祖教」を伝統的に信じてきました。言葉を変えれば葬式佛教です。寺は最初から先祖供養の為、葬式と法事を目的に建てられました。ところが高度成長以後,核家族化で家や故郷の意識が破壊され、先祖教の基盤が崩れてきた。私は今こそ本物の佛教、すなわち個人の信心と修行によって、個人自らが救われるという佛教の出番がきつつあると思います。お釈迦様はあらゆる命はかかわりあっているという縁起の教えを説かれました。つまり私を存在させているのは私でなく、周りとのご縁で生かされているのだと。私は縁起が佛教で最も大事な教えだと思っています。そしてなるべく他の存在を生かすように、行きとし生けるものに慈しみと悲しみの心を向けなさいとお釈迦様は説きました。それが慈悲。縁起という心理に基づいて慈悲を実践する、佛教は一言で言えばこれに尽きます。言うのは簡単ですがやはり実践はむずかしい。人間は自分や家族を一番大事に思いがちで、なかなか他の存在すべてに心をむけようという気持ちになりにくい。そこで浄土宗を開いた法然やその弟子で浄土真宗の開祖・親鸞はこう唱えました。人間は煩悩の塊で、縁によって善人にも悪人にもなりうる危うい存在だから、この世で縁起を悟ることは無理。時折は他の存在に思いをいたしつつも、基本的には我欲で生きていくしかないと。いわば開き直ったわけです。
'06.1.29.朝日新聞、法然院貫主・梶田真章さん
散歩道<210>メセナ・仏教でいうお布施、<367>縁、<779>「ごちそうさま」「いただきます」、<検>宗教、
備考:私は佛教について詳しいわけではない。上記の話は誰にもよくわかる話なので、その通り記述させて頂いた。