散歩道<891>

                    大集合(411)・1718  慈悲を語る・縁起の教え根本(2)          (1)〜(2)へ続く
                      
できることから実践、あらゆる命かかわりあう

1718、 そのうえで法然や親鸞はどんな人でも阿弥陀仏を信心して「南無阿弥陀仏」を唱えれば阿弥陀仏の力によって浄土に行き、悟ることができると説きました。これが他力の教えです。こういう考えに同意できない人には、別メニューを佛教は用意しています。各宗派は悟りへの道をさまざまに説いています。自ら修行を続ければ悟りに至ることができると自力を説く宗派や、仏になれる人となれない人があると説く宗派もあります。法然院は法然上人の教えに基づく寺ですから、私もこの世では悟れない、私なりに生きるしかないと開き直って阿弥陀仏のお力に全てを任せきってしまいます。そうすると逆にゆとりが生まれ、この世を生きていく力が出てくるのです。任せきったら、私はこの世で出来ることを、できるときに、出来るようにしたらいいんだと思えてきます。だけどその結果はどうなるかわかりません。ご縁によって決まるのです。いくら努力してもそれが実る時も実らない時もあります。努力はもちろん大切です。思い通りの成果を得ようとしたら努力が必要です。しかし、努力しても成果が得られないこともあるのがこの世です。それをお釈迦様はご縁だといいました。結果はどうであれ、その日その日の自分が、出来ることを出来るようにやっていく、それが慈悲の実践だと思います。確かに、こだわりを捨て、慈悲の心をもつのは至難です。でも、その時その時にやるべきことをみつけるのはそんなにむずかしいことではないでしょう。今自分ができることを、できるときに、できるように、できる相手に対して自分があらゆるものに生かして頂いている返礼として、やってみる。そうした慈悲の実践が布施となります。どんなことでも布施になる。他人に優しい笑顔を向ける、席をゆずる、食事の時食べ物への感謝を込めて「いただきます」「ごちそうさま」という。何らかの形で他の命の役に立てばいいのです。ただ、それが本当の布施になる為には見返りを期待してはいけない。それをすること自体が喜びとなれば、心の豊かさにつながっていく。お寺はそうしたことに気づいていただける場でありたいと願っています。
'06.1.29.朝日新聞、法然院貫主・梶田真章さん

散歩道<210>メセナ、仏教でいうお布施、<367>縁、<779>「ごちそうさま」「いただきます」<検>宗教、
備考:私は佛教について詳しいわけではない。上記の話は誰にもよくわかる話なので、その通り記述させて頂いた