散歩道<87>
           
1、人は記憶を何才まで遡れるか?・戦争一色・  2、舞鶴の軍港
                            

1、人は記憶を何才まで遡れるか?戦争一色
  
記憶は定かでないが45歳までと思う。祖父と祖母と私で京都から千葉県の連隊(習志野と思われる)まで父の慰問に行った記憶4〜5歳)がおぼろげながらある。東京駅では切符売場に祖父を連れて行ったそうだ、又、千葉で見たのは、成田不動の大きな提灯と九十九里浜と思われる、(うず高く積み上げられた)貝殻の山、森永製菓の品川?工場(列車が通り過ぎるのに、何度か止まりそこを過ぎるのに随分時間がかかったので、その工場は何時までもそこにあるように思えたので大きなだと思ったのあろう)等を見た。これは記憶の中にある。(祖父と祖母と何度もこのことを、話したことが、私は記憶していると思っているのかもしれないが?)。
 次は昭和20年1月、(実に裏日本独特の重くどんよりした日本海であったように記憶している)、舞鶴の岸壁で、戦場に向かう船に乗り込む父を桟橋から見送る為、家族と僕(当時6歳)が階段を下りたのも、おぼろげながら覚えている。20世紀の日本は、戦争一色であったと思う日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、上海事変、日華事変、太平洋戦争等)。長い間戦争していたので日本国民の殆どの家庭から犠牲者が出た。それに耐えて生きるよう要求されるのも戦争である。ただ、この戦争の為、多くの人が戦地に行かなくてはけない理由も知らされず、行かれたのではないかと思うと、余計に空しく辛い気がする2010年8月16日
備考:森永製菓のキャラメルは今年100年を迎えるらしい。2013年6月3日

2舞鶴の軍港
  
その後、本土のほとんどの都会が空襲で、焼け野原同様になり、社会復興など考えることも許されなかった。荒廃から日本国民は、何としてでも生きていかなくてはいけないと覚悟をきめ、毎日落ち込む事なく、夢を持って生きてきたのだ。日本が立ち上がってきたのは、もう一度、この国を世界にその存在価値を示したいという日本国民の切実な願があり、一人一人の気持ちが一緒になって、お互いに助け合って生きていく、共通の願が、何もないところから、今日のような素晴らしい日本を作ったのである。日本はやはり素晴らしい民族であると思う。56年たった去年('01)の1月、同じ(舞鶴)港の位置に立った。そこには何人かの若者が車で景色を見にきていた。遠くには近代的なホテルが立ち並び、穏やかな日曜日であった。平和な日本の未来を願わずにはおれない。写真を撮ろうとしたが、フイルムがないのに気がついた、どの思い出をこのフイルムに残そうとしたかは複雑である。僕等の記憶から、この思い出が消え去ろうとしている今、絶対戦争はやっはいけないと世界の人に言いたい。
関連記事:散歩道<検索>戦争、<3805>写真・舞鶴の軍港

備考:'09.6.16.舞鶴で、'09.11.29から3年間放映される、NHK大河ドラマ司馬遼太郎さんの「坂之上の雲」の撮影が始まった。秋山真之役の本木雅弘さん、東郷平八郎役の渡哲也さん、海軍大臣・山本権兵衛役の石坂浩二さん。2009年6月17日

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