散歩道<86>

             1、B29の来襲2、都会の生徒の地方への疎開

1,B29の来襲
 
昭和20年当時幼稚園児(または小学校1年生)、私は町内の子供達とお寺の境内で遊ぶのが日課であった。町内一杯に鳴り響く警戒警報発令B29来襲のサイレンで、急いで家の中に掘られた防空壕の中へ避難した。その上空を何十機のB29が編隊を組んで西北の空へ地響きの音と共に悠々と飛び立っていったことを覚えている。連隊の高射砲から発射された大砲の弾がB29のかなり下で炸裂すのが見えた。子供心に、この力の差を感じずにはおれなかった。しかし何事もなく飛び去っていった。B29が見えなくなったのを確認してから、又、町内会の子供が集まってきて、さっきの続きのゲームを再開する事になった。
備考:
最近聞いた話ではわざと飛行機が飛び去った後に連隊を知られないため大砲を打つこともあったらしい?。
又、山下清展で、この時代の背景や戦争の様子が詳しく描写された絵が発表されているのに出会うことができました。皆様機会があったら是非観てください、実に素晴らしい絵の数々です)

2、都会の生徒の地方への疎開                              
 昭和19年から20年にかけて戦争が激しくなるにつれて、都会から地方へ疎開してくる幼稚園児や小学生が多くなった。言葉や雰囲気で都会らしさを田舎者の私にも感じることが出来た。女性の場合は格好よかった、男性の場合も頭のよさそうなものもいた。クラスの仲間と打ち解ける術は皆持つていた、すぐ学級の人気者で中心になったようだ。  
 社会の時間にオーストラリアとオーストリアは違うということを指摘した○○君がいた。△△先生はその違いに気がつかなかった(
今から思うとのんびりしたものであるが?)。それ以来私は○○君を、彼は天才である?と長い間信じてきた。彼が世界的な学者になったかどうか、今のところ聞いてはいないが、僕らの期待を裏切らないようどこかでがんばっていてほしい。今度会う機会があれば、このことを彼に伝えたいと思っている。

備考:戦後24〜25年頃は海外からの引揚者が多く、街のいたるところの公共施設(例、消防所)などに、家族で寝泊りしている人が随分いました。

備考:'08.2.近々この女先生と60年振りに皆で会う計画です。この件は先生のプライドも考え近々削除します。

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