散歩道<849>
                          大集合(373)・1642
                  「清貧の思想」再考(2)日本人の心に根ざす欲にとらわれぬ生活        (1)〜(3)へ続く                    

1642 長明兼好を「”清”貧」と理解すれば、良寛和尚は「清”貧”」である。良寛はお金には全く無縁で、住居もみすぼらしい草庵であり、食料も人から貰うものを中心にしていた。現代風に言えば貧乏人のに良寛である。本人は気にせずに、最低限生きていけるだけの生活を選択したのである。常に飢饉の恐れがあるので、わずかの米でも感謝の念が持てる、というのが良寛の思いである。著書『清貧の思想』で有名な中野孝次氏は、ないことが常態であれば人はものが少しだけでも得られれば、無常の満足と感謝を覚えるものだ、と良寛の生き方に即して述べている。生活を常にすれすれの水準においておけば、食料、衣服、暖房等々が少しでも得られれば、感謝を持って生きることができたので、良寛は貧乏を自分で選択したのであろう。ここで長明、兼好、良寛の清貧の思想を、貧困との関係で評価してみよう。まず経済的な生活水準に関して言えば、これらの人は豊かな生活、或は贅沢の生活を決して望まない。生きていけるだけの最低水準であれば良いと願っている。大切なことはこれらの人は確かに経済的な豊かさ、名声、栄達を望まなかったが、文人として生きることに無常の至福を感じていたのである。清貧の思想を説き、かつ実践した人は、たとえ貧乏であっても生きることには積極的であった。それは詩歌、散文といった作品を書くことによって経済的な苦痛を作品という心の満足で凌駕したのである。このことを我々凡人が感じることができるかと問われれば、否である。私の尊敬する中野氏も自分は無理だと告白している。長明、兼好、良寛も並外れた文学的才能をもって生まれた人なので、文人生活に生きがいをもつことができた。その才能を活かし、その才能に忠実に生きることが無常の喜びなので、経済的な生活は2次的な意義しかなかったのではないか。だから清貧の生活を好んで送れたのである

'06.2.6.朝日新聞 京都大教授 橘木俊詔様

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