散歩道<850>
                        大集合(374)・1643
                「清貧の思想」再考(3)日本人の心に根ざす欲にとらわれぬ生活            (1)〜(3)へ続く               

1643、ごく普通の凡人として生まれた我々には文人の生き方をまねせよ、というのは無理な話である、そう考えれば、凡人は貧困すれすれ、あるいはそれ以下の生活を敢えてもとめる必要はない、と言えるだろう。決して豊かではないが、つつましやかな経済生活を欲することは、非人間的ではない、というのがここでの私の主張である。特異な才能のある人は別にして、ごく一般人であれば、つつましやかに食べて、装えて、住めて、余暇を楽しくことができる生活を望むことは、別に非難されることではない。従って、経済的な貧困を避けることは重要なことなのである。憲法にも健康的で文化的な生活を保障すると書いてある。凡人にとって、経済生活が貧困であれば、碌(ろく)なことを考えないからである。例えば、人のものを盗んで自分の生活の糧にするとか、罪を犯すといったことがありうる。心の余裕がなくなることも確実である。こう考えると、世の中から経済的な貧困を排除することは、重要な政策目標となる。「清”貧”」の思想を、人がつつましく生きていけるだけの生活を送ることである、と再解釈するのが私の立場である。 「清貧の思想」は、人それぞれの才能と趣味によって、いかようにも清い生活を送れるのである。最後に重要なことを付言しておこう。「清貧の思想」は、必要以上の贅沢生活を送らないようにという主張だと、さらに踏み込んで解釈したい。最近の一部に拝金の風潮が見られる。凡人に正統的な清貧の生活を強要することは不可能である。が、私は「清貧の思想」が日本人の心に根ざした文化だと理解するので、贅沢(ぜいたく)で奢侈(しゃし)な消費を求めるような、モノとカネの欲にとらわれた生活を送ることは、避けた方がよいというのが今の思いである。
'06.2.6.朝日新聞 京都大教授 橘木俊詔様

散歩道<781>対談・膨らむ欲望・ITが加速(1)・橘木俊詔様・西垣通様、<782>(2)、<783>(3)