散歩道<825b>

                             インタビユー・特攻隊生んだ日本社会は(1)


 太平洋戦争末期、飛行機ごと敵艦に体当たりする特攻作戦により約4千人の若者が命を落とした。軍幹部ですら、「統率の外道」と指摘したとされる異常な作戦に突き進んだ空気感は、戦後73年たって変わったのか。「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか(講談社現代新書)を書いた作家の鴻上尚史さんに聞いた。

共同体守る意識 同調圧力の強さに 忖度してしまう

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著書では特攻を9回命じられ、9回生きて帰ってきた陸軍の操縦士、佐々木友次さんに話を聞き、彼の生き方を描きました。
 「まずその事実に驚きました。ただ帰るだけでなく、爆弾を落として船を沈めているのですが、参謀や司令官たちは全く評価しない。21歳の若者に『次は死んでこい』というわけです。『爆弾を落として船を沈めればいいと思います』と佐々木さんが言っても、『爆弾を落とした後に体当たりしろ』と言う。死ぬことが目的になっているのです。これだけ言われても、なぜ9回とも帰ってこられたのか知りたかった」

・・・・結局、なぜ帰って来られたのでしょう。
 「色々な要素があるのですが、最大の理由は、佐々木さんが空を飛ぶことが好きだったからだと思います。彼が乗った九九式双発軽爆撃機はあまり評判のよくない飛行機でしたが『乗りこなすと鳥の羽みみたいになるんだ』と言っていた。自分の手で大好きな飛行機を壊すことに耐えられなかったんじゃないでしょうか」
 「なおかつ上官にいくら文句を言われても。パイロットだから飛び立てば一人なわけで、精神の自由を保てたのだと思います。『飛ぶのが好き』なんて考えは、当時の軍隊のような超ブラックな組織ではまず言えないことです。二音型組織は、少数の異論を持つ人に暗黙のうちに多数の意見と合わせるよう求める同調圧力が強い。これに対抗するもっとも強力な武器は、『本当に好きだ』という気持ちを持ち続けることだとおもいます」
<検>戦争、<検>政治、<検>若者

'18.8.23.朝日新聞・作家・演出家・鴻上尚史氏