散歩道<826b>
                             インタビユー・特攻隊生んだ日本社会は(2)


 太平洋戦争末期、飛行機ごと敵艦に体当たりする特攻作戦により約4千人の若者が命を落とした。軍幹部ですら、「統率の外道」と指摘したとされる異常な作戦に突き進んだ空気感は、戦後73年たって変わったのか。「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか(講談社現代新書)を書いた作家の鴻上尚史さんに聞いた。

共同体守る意識 同調圧力の強さに 忖度してしまう

 ・・・・若者たちは自ら特公平になったのですか。
 「上官が隊員を並ばせて、『志願する者は一歩前に出』と言い全員が出るまで待ち続けた例や、『行くのか行かないのかはっきりしろ』と突然叫んで、全員が反射的に手を上げた例もあったと言います。好きでなったとは言えないでしょう。中には予科練や少年飛行兵など14~15歳から軍隊教育を受けて外部の価値観を知らないまま成長した人もいたと思いますが、それは1割か2割です。残りは志願という名の強制、命令だったのは明らかです」
 「命令した側は自分達の責任を明確にしたくないので、『我々が非難されるのは甘んじて受け入れるが、国のために散った若者を馬鹿にしないで欲しい』という、実に卑劣で巧妙な言い逃れをしています。特攻を命令した側と命令された側を、ひとまとめに『特攻』と呼んではいけません」
・・・特攻を賛美する論調が近年、目立ちます。
 『特攻兵が『ほほ笑んで自らを犠牲にして散っていった』のようなわかりやすい物語はどの時代でも受け入れやすい。ただ、その裏というか、本当は何があったのかを伝えていくのも、大切な仕事だと思っています」
<検>戦争、<検>政治、<検>若者

'18.8.23.朝日新聞・作家・演出家・鴻上尚史氏

                                              
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