散歩道<813>
散歩道・面白い話・大集合(349)・1598
土方歳三・新選組のその後、最後は
正月('06)のNHKテレビで、新選組から別れた後の土方歳三の函館五稜郭での最期までが(これは聴衆者の希望により、作られた番組のようだが)、放送されていたが興味持って楽しく見ることが出来た。新選組みの最後を見届ける役目が彼には残されていたのであろう。土方は死に場所に、この五稜郭を選んだのだろうし、一方、榎本武揚(1836-1908)や、大鳥圭介(1836-1911)は生き永らえることが出来るなら(解説されていたように、頭の中で描いていたのは、オランダに留学した彼が、現地で経験したことを、実際にやってみたかったはずだ。)。北海道の大地で大農場や、酪農で牛乳、チーズなど、北欧での生き方を参考にやっていけば、この蝦夷地で、国は立ち上がることが出来ると、考えていたと思われる。土方歳三は榎本武揚に会って五稜郭で官軍と戦う共通点はあったが、その考えが、大きく隔たっていたことは想像出来る、今までの生き方が接するうちに、大きく変えられていくのは解かるような思いをしていた。土方歳三が描いていた五稜郭での最後の戦い(この時は瞬く間に来た)でも彼が勝てると思っていたが(どちらかいうと戦略)、官軍の前に予想以上に早く破れることになった時、彼はここまでと判断したのだろう。島田魁(しまださきがけ)明治33年(1900年病没)や、永倉新八(ながくらしんぱち)大正4年(1915年病没)のように、明治から大正まで生き延びて活躍した武士もいたことを、以前からどのように(明治政府の中で登用され)生き延びてきたのだろうと、関心を持っていた。
散歩道<325>近藤勇・歴史の変革期
備考:戦後、榎本武揚の面倒を見たのは、官軍の総指揮官・黒田清隆である。彼の優秀性を高く評価していたのである。