散歩道<789>          

                      散歩道・面白い話・大集合(327)・1559
                  
         平和の時代へ(2)・理想主義を超えよう         (1)~(3)へ続きます

1559、 このようなイスラム教とキリスト教の把握は、本来の教えから見れば異端に過ぎない。又、民主主義と自由主義は多様な集団による共存を可能とする制度の思想であって、間違っても対外偏見を正当化するような粗暴な観念ではない。だが、それが宗教であれ、世俗的な思想であれ、急進化し、教条化した理念は、絶対者と自己を一体化することを通して、自己の絶対化と他者性の否定に陥る危険をはらんでいる。国際共産主義運動のもたらした自己欺瞞と粗暴な暴力から開放されたはずの世界は、再び教条化した観念が不寛容に向かい合う対立に支配されてしまった。イスラム急進勢力や福音派キリスト教徒の抱く終末論的世界観を共有する人が多いとは思えない。だが、同時多発テロ事件以後の世界がこの二つの急進的な主張によって揺り動かされてきたことは否定できない。イスラム社会でいえば、イスラム教徒の受難に共感するあまり、急進主義の粗暴な世界観を黙認する人が少なくない。先進工業国の場合、教条化した、民主化構想には同意しなくても、アメリカ政府による過大な暴力行使を黙認する指導者は少なくなかった。アフガニスタン、イラクという二つの戦争を経験しながら、理念の先走った理想主義者の戦争には出口の見えない現状が続いている。それでは理想主義者の戦争を前にして、どのような選択があるのだろうか。まず、イスラム社会や第三世界への連帯、というものを私は信用しない。そこには、国際共産主義運動への連帯が独裁への黙認を伴っていたと同じような自己欺瞞があるからだ2006年1月7日

'05.1.6.東京大教授・藤原帰一様

散歩道<601>自由(2)責任こそ表裏の関係