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散歩道・面白い話・大集合(323)・1555
新・欲望論(D)・「私」消え止まらぬ回路」 (D)~(F)と続く
消費社会化で本能から変質
食べる、寝る、愛する、排泄する、そのつど、ただこの身体から湧き出し、自らを駆り立てる生命の営みを、わざわざ欲望となずけ、「私」という主語を与えているのは人間だけである。しかも、所有者や支配の「欲望になると、とたんに話は複雑になる、持ち家が欲しい、名声が欲しい、力がほしい。そういう「私」は、果たしてどこまで「私」であるか。例えば寸暇を惜しんで株に熱中する。「私」を「私」はどこまで「私」だと知っているか。人間の欲望について考える時、まずはそう問わなければならないような世界に私たちは生きている。例えばある欲望を持ったとき、私たちはそれをかなえようとする。その段階で、「私」たちは何がしかの手段に訴えなければならない。そのために対外的な意味や目的への、欲望の読み替えが行なわれる。健康の為。生活の為、などなど。こうした読み替えは、すなわち欲望の外部かであり、欲望は、この高度な消費社会では「私」から離れて、作られるものになっていく。そこでは名声や幸福とぃった抽象的欲望さえ。目と耳に訴える情報に外部化され、置換されるのが普遍的な光景である。例えば、家が欲しい「私」は、ぴかぴかの空間や家族の笑顔の映像に置換された新築マンションの広告に見入る。そこに入るのは美しい映像情報に見入る「私」であり、家族の笑顔を脳に定着させる「私」であって、単に家が欲しい漠とした「私」はずっと後ろに退いている。かわりに、家族の笑顔がみたい「私」が前面に表れ、それは映像の中の新築マンションと結びついていて、欲望は具体的な形になるわけである。2006年1月6日
'06.1.5.朝日新聞・作家・高村薫様
散歩道<608>若い世代へ、あなたの怒りが政治を動かす、<1174>時を読む・イメージ先行「格差社会」(1)~(3)、<1393>新たな建前生まれるか、
備考:'10.2.1.朝日新聞・高村薫様・「小説賞」・「太陽を曳く馬」で、おめでとうございます。