散歩道<78>

                    
秋田沖地震

 昭和58年5月26日(1983年)秋田沖地震が起きた、そのとき私は青森市内の国道の交差点で信号待ちで前から3台目の車に乗り停止しいていた。そこで震度7.5の地震に遭った、真っ直ぐ物は見えず街全体が横に倒れているように見えた自分も横から見ているという感じであった)。地震と思わなかった私はこのように脳梗塞にでもなって倒れていくのだなというような宙に浮いたように感じていた。ハンドルはしっかり握っていなくてはいけないと思った、まっすぐ直視できるようなってしばらくして前の車を見たら、1両目と2両目の車の運転手は交差点に車を置いたまま、右の運転手は右の、助手席の運転手は左の街路樹に抱きついてたのを見た。民家からも家の人が外に飛び出してきてやはり街路樹に抱きついた。私は右の地上15階程のビルがた倒れててきても逃げられるようにドアをあけて様子を見ていたがその後揺れは殆ど感じなかった。しばらくして銀行の窓口で同僚から何か耳元でささやかれた窓口業務の人が急にわっと泣いたのをみて之はただならぬことが起こったのだと感じた。会社へ帰ったがロッカなどは倒れずに動いた程度であった。秋田の会社の同僚としばらく話が出来たが、その後秋田との電話は不通になった、電話線がパンクしたという報道があった。NHKのニュースで震源地が秋田沖と聞くまで青森が震源地と思っていた、大きな地震であることがわかったのはそれから23日後である

備考:この地震の後、秋田県・男鹿半島の海岸で1回の津波が引いたので、海岸に出て遊んでいた小学生が、2回目に襲ってきた大津波により小学生13人が亡くなった。2011年3月23日

朝日新聞15.5.19
.(2003)に防災情報機構会長(元NHK解説委員)伊藤和明様の「私の視点」・『稲村の火』を役立てようという記事が載っていた。)
(この「稲村の火」に関し、朝日新聞15.6.10.(2003)三重県の川口様から伊藤和明様とお同じ考えの投稿がなされている)'05.1.18.国連防災会議の席で小泉総理は「稲村の火」の話をされている)

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