散歩道<766>
散歩道・面白い話・大集合(307)・1520
耕論 ペットの自由(2)
1519、ペットとして動物を飼うためには、残念ながらやむおえずコントロールしないといけません。つまりある程度自由を奪う必要はある。どの程度かは、動物それぞれで違うから単純な答えはありません。具体的に付けあいながら根気よく見守り、細かく問題のある行動を起動修正していくのか、自分が我慢して受け入れるか決めていく。動物たちの状態をなるべく動物らしく自然に保ち、出来る限り自由にさせるのです。
日本でも、動物たちの自由や福祉を考えられるようになってきたことは、人間として余裕が出てきたと、いうことだ。と思います。動物は自然であり、そして人間も本来自然な存在で、ペットを通じて自然と地続きだという感覚を取り戻せる。そこから人間本来の在り方を考えることにもつながって行きます。これは、中々いいことです。
<検>動物 ’18.6.19.朝日新聞
1520、よりを戻すのがたいへん「くだをまく」
大規模に工業化される以前、日本の織物業はほとんど零細な家内工業で行なわれていた。中でも、原糸によりをかける紡錘(ぼうすい)の管芯(くだしん)に糸を巻く「管巻き」(くだまき)という作業は、果てしない繰り返し作業だった。この繰り返しと、巻くときに管が立てるブンブンという音は、酒飲みが酔っ払って、とりとめもないことをくどくど言い続けるさまにそっくりだった。こんなところから、「くだをまく」などという言葉も生まれたが、本来の管巻きは、する本人が大変酔っ払いの「くだまき」は、周囲の人間が大迷惑するという点で大いに異なる。といってじゃけんに扱うと、捩(よじ)りに捩れて、よりを戻すのに一苦労するのは、くだまきの管巻きたる所以(ゆえん)だ。樋口清之様