散歩道<6869>

                                日曜に想う・炎の記憶 下町に刻まれた日(4)

 
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 上空からの無差別爆弾を「目差し
(まなざ)を欠いた戦争といったのは、軍事評論家の前田哲男さんである。殺す側も殺される側も、互いに見ることがないからだ。
 「(殺される人々の)苦痛にゆがむ顔も、助けを求める声も、肉の焦げるにおいも、機上の兵士たちには一切伝わらなかった」(戦略爆撃の思想)。知覚を欠く中で加害者の意識は薄れ、殺戮の惨さばかり増幅していく。日本軍もまた中国を繰り返し空襲した。
 第2次世界大戦、ベトナム戦争など20世紀の空爆をへて、21世紀は無人攻撃機が殺意を運ぶ。たとえば米国では、「操縦士」は国内の安全な基地に出勤し、遠隔操作で遠い紛争地の「敵とみなした人間」にミサイルや爆弾を撃ち込む。
 かって爆撃照準器の下の人間を「点」と見た非人間性はいま、ピンポイント攻撃を免罪符にしつつ、無人機のモニター画面に向け継がれた感がある。それは人間の命へのまなざしを欠くAI(人口知能 )兵器へと続く道に他なるまい。
 サィディスッカーさんに話をもどせば、下町を愛したこの人は湯島に長く暮した。谷中の墓にかぎらず、東京の下町はいまも「炎の記憶」を静かにとどめている。供養の碑や地蔵にはきょう、様々な思いが捧げられることだろう。
 炎の記憶は世界の幾多の地に刻まれている。空襲を、戦争を、鳥の目ではなく地べたの人間の目で考える日にしたい。
<検>戦争

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19.3.10.朝日新聞・編集委員・福島 伸二氏