散歩道<6868>

                                日曜に想う・炎の記憶 下町に刻まれた日(3)


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 戦局が険しくなると、「焼夷弾には突撃だ」といった標語も張り出されたという。非科学的で空疎な精神主義は人々を焼夷弾の餌食にしていく。逃げれば助かった人まで火にまかれ、東京だけでなく全国の都市で空襲の犠牲者を増やすことになった。
 新聞にも痛烈な反省がある。国が言うままに精神論で尻をたたき続けた。さらに「火と戦って殉職」「死の手に離さぬバケツ」といった類の防空美談」を盛んに報じたのも新聞だった。
 東京大空襲に続いて名古屋、大阪などの空襲を受ける。直後の3月20日、本紙社説は「空襲に打克
(うちか)つ力」と題してこういうのである。「われらもまた本当に爆弾や焼夷弾に体当たりする決意を持って敵に立ち向かおうではないか」同じ新聞の後輩として胸がきしむ思いがする。<検>戦争

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19.3.10.朝日新聞・編集委員・福島 伸二氏