散歩道<6867>
日曜に想う・炎の記憶 下町に刻まれた日(2)
手元の文献に寄れば、米軍は日本のヒノキに似た建材を用意し、畳屋家屋にいたるまで忠実に再現した家屋を立てて長屋街を造った。木材の含水率まで調整したり、雨戸を開け閉めして燃え方の違いを確かめたりして、きわめて周到に焼夷弾の攻撃実験を行ったという。
3月10日未明、279機のB29が投下した30万発を超す焼夷弾に東京の下町は焼き尽くされる。一夜にして約10万人の命が奪われて、きょうで74年になる。
・・・・・・・
日本の都市を狙った米軍の周到さには「非情」という語がふさわしい。効果が計算された冷酷な破壊だ。それに対して日本は、丸腰の庶民を、お決まりの精神論で立ち向かわせた。防空法は国民に退避の禁止や消火義務を課していた。「逃げるな、火を消せ」である。 <検>戦争、
'19.3.10.朝日新聞・編集委員・福島 伸二氏