散歩道<680>
                         散歩道・面白い話大集合(232)・1251     

1247. 歌を歌うグループ
 エスキモーも鯨を取るグループと取らないグループがある。歌を歌わせたら取るグループはリズムが合うが、取らないグループは皆別々に歌う。
小泉文夫様の本から

1248. 東南アジアのいい音楽
 
 東南アジアの音楽はすぐ眠くなるそれがいい音楽と思っている
(現地では

1249.
 中央政権へのごますり「侍」
 「斬り捨てご免」「武士は喰わねど高楊枝」などと、わがまま勝手な言動が武士に「許されたのは武家社会の確立した鎌倉時代以降のことだ。それ以前のいわば武士階級の黎明
(れいめい)期に目を向けると、武士たち、さぶらう境遇にあり、その道の豪のものとしての境遇など思いもよらなかった。この「さぶらう」という言葉、本来、目上の人に従属し、仕えるという意味で、平安時代、地方の荘園などを根城にようやく勢力を増しつつあった武士たち、ただ力があるだけではダメで、都に上って貴族にへつらい、ひたすら”さぶらう”身に甘んじた。この”さぶらうもの”が、その後、七百年有余にわたって支配階級として君臨することになる樋口清之様

1250. 暁斎の五聖奏楽図
 明治6年(1873)禁教が解かれたことを契機に、キリスト教は日本における活動を活発化させた、これは日本の宗教界、とりわけ仏教界にとっては大事件であった。キリスト教に対する排撃運動は様々な形で試みられた。この絵では磔刑(たっけい)のキリストを、日本で長く信仰されてきた聖人たち、釈迦、孔子、老子、神武天皇らが取り囲み、扇と鈴を手にして、三味線、笛、鼓で囃し立てる。まじめな面持ちで共演する彼らの姿は滑稽で、いがみ合うような深刻さは見られない。世界に存在する様々な宗教を一堂に会した本図において、暁斎(ぎょうさい)はこれら 宗教が日本でにぎにぎしく併存する様を一大劇場にみたてている。今、世界は宗教の違いによっていがみ合っているが、数ある宗教には教えや主義主張は色々あると思うが、すべての国人類が平等に平和に生きれることができれば素晴らしいと思う。この絵は今世界が目指さなくてはいけない理想像ではないかと思う。そんなことを求めている絵のように思える。<623>972
 
1251.
水平思考のできない社員「ろくでなし」
 年配の大工さんの仕事場に行くと、水糸を張って水平を確かめながら、「最近の若い職人は、ろくも見れない」などと文句をいっているのをよく耳にする。この「ろく」漢字で書けば「陸」で、元々は、水平とか、"歪みがない”などを意味している。だから”ろく”の否定は、"歪んでいる””まがっている”という意味で、ろくも見れない職人は、「ろくでなし」ということになる。この伝でいくと、かの発想術の大家デボノ博士の提唱するところの”水平思考”ができない社員は、ろくでなしで、家に帰れば「宿六」とさげすまれる運命にある。ちなみに「宿六」とは「宿(うち)のろくでなし」を省略したものである。樋口清之様