散歩道<6725>
ザ・コラム・賞与が国債だった時代(1)・命の次に大切なもの失った
.務め人にとって賞与は大切な生活給である。住み家を飼ってローンを組んでから、支給されて借金払いで瞬間蒸発してしまうわたしでも、「干天の慈雨」そのものだ。
大切な賞与が政府発行の国債だったら、「冗談はよせ」と会社に怒鳴りこむだろう。しかし、そんな時代が現実にあった。
1939(昭和14年)年5月、大蔵(現財務)次官が農林次官にあてた「賞与ヲ国債ヲ以ッテ支給スルノ件」という文書によると「国債モシクハ貯蓄債権ヲ支給シ叉ハ購入セシムベキ金額ハ左記標準ニ依るコト」とし、賞与などが「100円以下ノモノ」は10%以上、500円以下で20%以上、5千円超で45%以上、などとされている。
国債賞与は前年冬にも実施された。12月6日図けの東京朝日新聞は「さあ債券賞与だ 各会社から申込殺到」の見出しで、「素晴らしい売れ行き」で好評と書いた。
先の「支給スルノ件」は違う。「賞与国債支給ヲ実行セズ或(あるい)は実行シタルモ不十分ナリト認メラルル会社」に対しては「今回ハ必ず実行」するよう個別指導すること、記者などに最低一人の実行委員を置き、支給を促進させるようにネジを巻いている。
押しつけは強まる。39年冬から常勤者10人以上の工場に対し、警視庁に報告書を提出させることになったと朝日は報じた。<検>戦争、
' 18.9.20. 朝日新聞・編集委員・駒野 剛氏