散歩道<6561>
異論のススメ (2)・ 死を考えること・人にやさしい社会への一歩
もっともいくら考えたとしても「死とは何か」など、答えの出るものでもない。だから考えても意味がないという側にも言い分はありそうにもみえる。しかし、私はそうは思わない。我々が自分のたちの生の意義を問おうとし、この現実の社会の意味を問おうとすれば一旦は、この現実の生から離れ、それから抜けださねばならず、死を前提にして生を見直さねばならない。だから、死を考えることはまた、生を考えることでもあり、家族や社会の在り方を考える事でもある。つまり、自分なりの「死生観」を論じることである。
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死生観は広い意味での宗教意識と深くつながっている。なぜなら、多くの宗教意識は、この現実を超越した聖なるものによって人々を結びつけ、、また、この聖性によって、人々の現実の生に意味を与えるものだからである。
そして、大抵の社会には、漠然としていても、何らかの宗教意識がある。イスラムはかなり明白であるが、米国はプロテスタント中心のいわば宗教大国であり、西欧では、かなり薄められたとはいえ、西欧文化のいわば母型としてキリスト教があるし、そもそも無宗教とは、多くの場合、意思的な無神論を意味する。それらが、ゆるやかに西欧人の死生観を形づくつている。 <検>宗教、<検>氏名
'18.8. 朝日新聞・佐伯啓思
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