散歩道<627>
                           散歩道・経済気象台900号記念・面白い話・大集合(179)
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988.墨合戦、放屁合戦などの作品は、実に愉快
 暁斎(きょうさい)は、僧侶としての立場を捨てることは出来なかったのだとおもう。そこには整理しきれない(もやもやした)自分の気持ちを、動物に置き換えることでより自由に描かれたのではないかと思う。そこには放屁合戦、墨合戦などの作品は、実に愉快に楽しい日常生活のユーモアさがあふれていて、おかしく描かれている。余りおかしく、声を出して笑ってしまった。 <検>美術展・解説

989.
鍾馗(しょうき)さんと鬼
 鍾馗
(しょうき)さんと鬼、 極楽と地獄、自分は地獄と極楽の接点にいると書いている、1皮剥けば人は同じような状況に置かれていくのではと、皮肉交じりに人生の侘しさ厳しさを年を取ることの淋しさを画いているのだと思う。 暁斎(きょうさい)は、僧侶として、頭の中は人々を諭す立場にいる自分自身も、面白おかしく冷めた目で見ていたのではないか。
 春画でSEXを笑い飛ばしまう、 面白おかしく描かれている、ちゃめちゃ面白く思わず私は、声を出して笑ってしまった。

990.
プロの芸を見て感じる厳しさ
 プロの芸を見て感じるのはその域に達するまで厳しい反覆練習、努力、情熱等を想像すると、彼らはその道を究めようとしている特別な人と考えたりする一方、我々のレベルではしょうがないと、妥協したり、継続は力なりと、強がって見たり、弱音を吐いたり、満足したり、アマの私たちの行動にもこんな厳しい行動が必要なのではないか、私は意外と信念、体力、気力が大きな影響を与えているのではないかと思うようになった。プロの芸はスカットした気持ちの良さを与えてくれるので、嬉しく思うのだが、それをやろうとするアマにも天は可能性を与えてくれているのではないかと思う。<検>5454,

991.
慎み深い文王・「小心翼々」(しようしんよくよく)
 『詩経
(しきょう)』大雅大明編に「維此文王(ぶんおう)、小心翼々」という詩がある。「小心翼々」とは、この文王という人、さぞかし気の小さい、能のない男だろう、と思われるが、決してそうではない。それどころかこの詩は、文王は細かいことにも気をくばる、たいへん慎み深い男だった。と文王をほめているのである。この『詩経』に出てくる「小心翼々」という語、もともと、ほめ言葉に使われていたものらしい。それが、いつのまにか、現在使われるような悪い意味に変化してしまったものである。なお「小心」という言葉も、もとは「心を小(せ)めて」と読んで、心を引き締める意であったとする説もある。樋口清之様