散歩道<6115> 自分流に纏めました
講演会・「Japan Tea ブランド」の構築(1)・太平洋を渡った緑茶
宇治茶は1191栄西により中国から茶種と抹茶法が入ってきた。足利義満(1358-1408)に特別庇護された、15世紀村田珠光(1423-1502)侘茶(わび)として、秀吉によってブランド化した。
13世紀鎌倉時代初頭、14世紀には喫茶の習慣、茶の湯(喫茶と料理)が加わり座敷飾りや、茶道具鑑賞が行われるようになった。千利休が16世紀茶道を確立したが、それは貴族、武家社会に定着したもので、そんなには一般市民に広まってはいないが徐々に商人にも広まっていったようだ。
角山栄(つのやまさかえ)氏は茶道、茶の湯に精通した人で,、茶のもてなしの彼の著書の中に16世紀、堺にきたイエズス会宣教師たちは、飲み物としてでなく文化として茶を理解した。文明国はヨーロッパ以外にはないと認識していたが、日本人の礼儀正しさに改めて驚いたと記されている。
明治時代日本におけるお茶は緑茶が主でその8割が、アメリカに輸出されていました。1917年日本茶は、2万トン輸出された。山城茶興業が1926年煎茶を輸出している。
アメリカでは、コーフィへの移行が主力で、日本茶は、5%ぐらいの使用量に留まっている。
益田 孝(ますだたかし)(1848-1938)大正時代、三井財閥確立、有数の茶人で文化の造成と定着に努力した、茶の売り込みにも熱心であった、叉、養鶏,養魚もおこなっていた。
日本近代化する為に、外貨獲得を行う主な業種はお茶と絹(きぬ)であった。茶を海外へ輸出するのに、茶業、茶道史が日本近代の為に役立った、1931年、お茶291万トン輸出。
1、japan teaとして、国家的確立を目指した。
2、諸外国で、輸出に当たって活躍したのは、外国人や中国人が日本の茶を支配していた。
'17.12.12. 講演・ウェイク・フオレストs大学准教授・ローバート・ヘリヤー、 コメンテーター、MIHO MUSEUM館長・熊倉功夫氏
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