散歩道<6116>
講演会・「Japan Tea ブランド」の構築(2)・太平洋を渡った緑茶
当時のアメリカは紅茶が中心に飲まれており、最初は必ずしも日本茶の評価は高くなかった。1960年頃からjapan teaとして、アメリカ社会に徐々に使われるようになる。
豊富な種類、宇治茶、伊勢茶、芸州茶(広島)であった。グラバー(1838-1911)は製茶工場作り、茶や生糸を輸出する。日本に初めて茶が入ってきた時、茶が体にいいとは言っていなかった。その後、日本茶は ビタミンCが豊富で健康にいいといいだした。健康という基準が(生活の中に入ってきた)のである。日本で茶が体にいいと科学的に証明したのは日本医師会会長・武見太郎氏である。
千利休や上記のグラバー、角山栄氏(茶の世界史)、益田孝氏、熊倉功夫氏「茶の湯と生け花」、「日本人の心の言葉千利休」、守屋毅(もりやたけし)(日本歴史学者)、人類学者、松下智(さとし)氏緑茶の世界、日本茶の著書多数等多くの茶についての出版物も茶の市民への定着に貢献する。
中国では、着色する技術が進んでいた。米国市場に茶が定着するために中国人の協力が多大であったことは余り知られていないとこの場で指摘があった。
生産量 1万トン~ 2万トン、80~90%海外へ輸出されていた。日本では、自家用の茶(北関東以北)茶飲まなかった。
日常茶飯事(江戸時代から):紅茶生産国はトルコはコーフィ、インドはチャイ、アメリカではスタンバックス(stanbaxtukusu)がブランド化を図っていた。日本より文化を食していると言われる。日本は、文化としての茶を確立する必要がある。'17.12.12.
講演・ウェイク・フオレストs大学准教授・ローバート・ヘリヤー、 コメンテーター、MIHO MUSEUM館長・熊倉功夫氏
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