散歩道<6037>

                                    美術展・ミュシャ展・運命の女たち


 ここで見た作品は、先に報道されたNHK・日曜美術館で見たミュシャ展の大きな彼の晩年の作品ではなかった。青年の若い時期、勢いのある作品を次から次へと製作した当時の、広告の表紙に使われる為に描かれた絵だったり、カレンダーの作品等には若い女性の華やかな姿や顔が美しく描かれていた。ポスター、連作装飾パネル「四つの花」、珍らしく女性だけが描かれた絵画を見るのは楽しい。
 カレンダーの日時が本当に細かく1月から12月迄通じて、書きこまれたかれたその中に、「人の人生:幼少期、青年期、熟年期、老年期」もあった。叉、装飾皿に描かれた絵「秋」「ビザンティン風の頭部
ブルネット」等は色鮮やかで、最近製作されたようにも見える。
 叉、興味深いのは、今から140~130年前の年月が明確である、パリ万博の公式ガイドの装丁や、会合の式次第、「雑誌社パリ=フランンスの為の有価証券」、装飾美術辞典の挿絵、挿絵原画、雑誌の版画、装飾パネル、ポストカード、素描には対象が「座る少女」「パンを食べる少年」「老人」「蝋燭の下の読書」などがある。自画像、叉、写真、ポスターなど色んなものに挑戦されている。
 パリで評価受けたミュシャは、アメリカから呼ばれ雑誌「ザ・リテラリー・ダイジェスト」の表紙、写真などにも挑戦している。
 その後故国に帰り、プラハでチェコスロバキア共和国成立にあたり自国の作品の製作に全力を傾けられたようだ、それら作品は叙事詩として大きな画面描かれていた
(これはNHK・日曜美術館テレビ画面で解説付きで見ることが出来た)が、1939年ドイツがこの国を占領した時、捕らえられる身になって、絵を描くことは出来なかったようだが、その彼の思いは今でも、同国の人々の気持ちの中に生き続づけているのである。
 絵の中に1900年製作の年月を見つけた時
「Aロシャ―著『感情、音楽、身振り』の装丁」、「プラハ国立劇場における舞踏会の出演ソリストの招待状」は、100年を生きた続けた、我々に繋がりのような何だかうれしさを感じた。 <検>絵画展     

 '17.11.6.美術館「えき」KYOTO

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