散歩道<6028> 自分流に纏めました
講演会・日本史の戦乱と民衆(2)
応仁の乱:京都の町全体の80%近くが焼失した社会の混乱に略奪や、放火が拍車をかけた。この混乱に乗じて一揆が頻発、借金の借用書が奪われたりした。周辺の地域も巻き込んで戦争の意味するわけも理解されないまま、戦いが長期にわたり続いたのである。このため社会の秩序は壊れ、飢饉等の発生もあり、餓死者も出た。一方、新興勢力が社会に進出することにも成った。これ等は、(碧山日録)、(建内記)、(看聞日記)、(経覚私要鈔)、に載っている。呉座勇一准教授
東インド会社:オランダ商館に大阪夏の陣の状況に資料が保存されている。豊臣秀頼に関する記述、徳川家康、秀忠に関する記述である。宣教師や、オランダ人から、民衆、支配者側の資料は、公家、僧侶が中心に資料を残したものと思う。(オランダのハーグ国立文書館)、や(東インド会社遣日使節紀行)に載っている。フレデリック・クレインス准教授
民衆主語の物語:禁門の変の京都市内のは、薩摩・長州藩と幕府軍の戦いにより、80%以上の住居が焼失した。市内全体が大騒動であった。婦女子は親族へ預けられたり、男子は残り家を守った。今まで市中を守っていた会津藩が火をかけたといううわさが流れ、評判を大変落としたという。京都日出新聞(1900)に載っている。磯田道史准教授
'17.10.28. パネルディスカッション倉本一宏教授、呉座勇一准教授、フレデリック・クレインス准教授、磯田道史准教授、司会・石上阿希特任助教
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