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                        講演会岡倉天心とインド

 私には実に難しい講演会であった。日本の画壇で活動していた岡倉天心は、今から約100年前(1902)インドへ旅立つ。難しかった日本画壇(美術学校騒動で下野)との関係もあったようだ。また、インドでは多くの人との交流関係があり、そこで、絵画、宗教、政治を志す人達と出会うことになる。当時のインドは英国の支配下にあり、その圧制からの独立心や、諦めの心境、耐える(忍従)こと、女性の力をもっと強くすること等が必要で、当時の複雑な状況がそこにはあったようだ。インドの暗黒時代から目覚めることなど、(中にはインドの独立に、深くかかわっていた人もいたようだ)、その根本には、インドのガンダーラ佛教こそが大切だという考えがあった。その心境は、岡倉天心が日本の心は飛鳥・天平時代にこそあるのだ(東洋思想)と思っていることと、共鳴する所がある。(佛教とヒンヅー教との関係等)。また、当時、日本で西洋に紹介されている絵画といえば浮世絵であり、ジャポニズムの世界であった。しかし、日本を代表する画家としての彼の主張、彼等が中心となっている新進気鋭の画家(哲学者・美術研究者フェノロサや、門弟・横山大観、菱田春草等と日本美術院を創設)。が描いていたのは、ギリシャ、ローマ、インドから日本に伝えられた仏像であり、インド守護神などである。(仏立像、仏座像などはローマの影響である)それらを描いた岡倉天心の絵が西洋ではじめて、日本を代表する絵として1902年のフランス万博会場で紹介されることになる。その後アメリカ・ボストン美術館で東洋部長として暫く滞在することになる。その美術館で購入する絵は、美の殿堂の中で見る絵がよいのか、自然の中で見せる絵(仏立像など)が良いのか悩むことになる。  2005年9月28日
'05.9.28.国際日本文化研究センター教授稲賀繁美氏

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備考'08.5.14.NHK・TV、「その時歴史が動いた」明治政府が出した、廃仏稀釈の政策は間違っていると立ち上がったのは、岡倉天心である、仏像が全国的に壊され、見るも無残な姿になっていた。仏像は美術品であるとともに日本人の信仰・日本人の精神であると、アメリカの日本美術研究家・フェノロサの”日本の伝統美術は西洋の美術品に決して劣るものではない”と説明により、時の総理大臣伊藤博文を動かして仏像の保存に政策変更をさせ、自分も大変な努力した。その数、2000以上あったといわれる。2008年5月15日

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