散歩道<5969> 自分流にまとめました
講演会・1200年前の文化交流・・・・入唐日本人の生活と交友
当日は殆どが高齢者の人の集まりで場内は満杯で、階段式通路にも観客が座っている状態である。
日本と中国の交流の歴史は、遣隋使(600年)、遣唐使((630年)と1400年の昔から両国に交流があったことになる。日本の異文化の導入はここからなされたものと考えると実に興味深いものだが当時の造船技術や、国内の状況などから考えても、遣隋使、遣唐使の交流は実に大変な国家的大行事であったと考えられる、その中でも、吉備真備、阿部仲麻呂は玄宗皇帝に大変かわいがられたそうで、仲麻呂氏は海難のこともあり50年間暮らし唐で没したそうだ。
遣唐使の派遣は国(政府の)が決めたのではなく、時の皇帝(玄宗)個人と倭国との間で交わした約束で20年の間隔で行き来をしる貢物交流であった。最初は小さな30~40人の集団から100~200人、多い時には500人(その中には医者や、学者、僧侶、建築士、商人、通訳等も含まれていたようだ)を超える使節団が中国(唐)を訪れた。その目的は仏教の伝授、国家(律令制度)や科挙制度の習得、先進文化・先進技術の吸収、文物や麝香(じゃこう)の購入や情報収集だといわれる、彼らが目的を果たすことが出来た要因には、通訳には渡来人が殆どの使節団には加わっていたといわれる。鎌倉時代には言葉は一般的になったようだ。
9世紀は坊さんの交流や、民間交流が盛んになる。宿泊先はお寺が多かったようだ、洛陽では10年だけ就食(しゅうしょく)と称して、衣食住の面倒を見てもらっていたようだ。後は自分の力で生活したそうです。平安時代には船乗り人には商人が貿易の目的で乗り組んでいたようだ。
中国の文化や宗教は主に東や南には伝わっていったが、西には殆んど伝わらなかったのはなぜか?ということに講師の先生は興味持たれていた。
<3642>博覧会・大遣唐使展、<3526>講演会・平城遷都1300年遣唐使船再現・シンポジューム
'17.9.12.講演・鄭州大学アジア太平洋研究センター所長・教授・葛 継勇氏 コメンテーター・関東学院大学教授・田中 史生氏、 神戸女子大学教授・山内 晋次氏 日文研准教授 榎本 渉氏
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