散歩道<5959>

                                     経済気象台(849)・過労死の本質

 女性新入社員の自殺が労災認定され、残業問題が注目されている。100時間超の残業時間の継続で死を選らぶことに批判的言辞を呈した大学教授が勤務先から処分を検討されるなど、話題に事書かない。政府が働き方改革の旗を揚げている矢先の出来事でもあり、議論の仕方によっては、政策実行過程に影響も出るだろう。感情に流されず議論すべきだ。
 肉体労働の世界では長時間労働は直ちに過労である。工場、サービス、商業の現場ではまさにそのとおりである。長距離バスの運転者が過酷な長時間労働をおこない、その過労の結果として事故を起こし、自らの死を招いただけでなく、多くの乗客の死傷につながった例などは典型的であろう。この領域はきちんとした時間管理が必要である事は論を待たない。
 しかし、頭脳労働の世界では長時間労働が直ちに過労となるとは単純に言えない。何かの問題解決を迫られている時は、勤務時だけではなく、極端に言えば寝食、休憩の間でさも考えている。そんなことが何年も続いたとしても、心身は健康で、やる気にあふれていることはある。
 今回の女性社員の自殺は労災に違いないが簡単に過労死で片付けては本質を見失う。長時間労働も問題だが、原因はそれだけではないだろう。働き続けることに本人が絶望していたことからも、管理者による彼女の労働の成果に対する正当な評価や指導の欠如こそが本質なのであり、攻められるべきは彼らの指導能力、体制なのだ。
 我が国の労働の、恐らく過半を占め、さらにその割合を増していく頭脳労働における労災として、問題の本質を労働政策当局は間違えてはならない。
  '1610.28, 朝日新聞