散歩道<5916>                       636から

                        夕陽妄語・選挙の後に(2)

 ある鋭敏なジャーナリストの言葉を借りれば、まさに「小泉劇場」だ。劇場の内部には波乱万丈の冒険(想像上のまた可能性としての)があり、劇場の外に1歩出れば、外部の現実には劇場内の冒険が何らかの影響を及ぼさない。自民党の大勝利は必然的である。たしかに憲法9条を改める準備は進行し、同時に国民の半分の抵抗も顕在化している。日本国が公然と戦争をする国になるのか。ならぬかの選択は、郵便物の配達が公務員によるか会社員によるかの選択よりも、わが国民の日常生活に影響する所が大きいだろう。国民の側から見れば、総選挙の争点を郵政に集中して憲法にまったく触れないのは、1種のすり替えと見えるかもしれない。それを自民党から見れば、巧妙な選挙戦略だろうということはすでに言った。民主党からみれば、憲法についての立場は、あらかじめ自民党のそれと大同小異なのだから、それを争点にできるはずもなかった。しかし国民一人一人の意見がそういうことなのだろうか。そもそも「ひとりびとり」という概念が架空の概念ではなかろうか。特に集団志向型の社会において、絶えず地域の、或いは職場の集団的圧力にさらされている人間が、投票にだけ、政治的判断についてだけ。突如として「天賦人権」を自覚し、独立不羈(どくりつふき)の自由な個人になりえるものだろうか。もしそうならないとすれば、「自由な選挙」とは一体なんだろうか。来し方行く末を考え、私の思いはちじに乱れた。  05.9.21.朝日新聞・     '17.8.8.

評論家・加藤周一様


                                    31