散歩道<5833>

                     .講演会・「筆談に見る明治前期の中日文化交流」(3)      私流にまとめた

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1853ペリ来航の時は宣教師が通訳をした。
1860遣米使節団、咸臨丸で出発
1862年高杉晋作、五大友厚等が長崎から上海に行った時、植民地化されつつある清国を観察する、言葉は全く理解出来なかったそうだが、
(漢字から雰囲気は理解できたようだ)強くその雰囲気を感じて帰国し、日本国はどうしても清国のようになってはならない、日本として早急に統一しなければいけないという思いを強く感じ、下級武士、農民や、商人を騎兵隊として育成する必要性を感じることに成る。
1871年日清修好条約はは和文である。

日・中・韓・越南これらの国は元々漢字・共有国である、もう一度共通の漢字で、東アジア「漢字・共有国として」国際社会で貢献することが出来ないかと期待しているものである。

 
'17.6.13.講演会・「筆談に見る明治前期の中日文化交流」・中国南開大学教授・劉雨珍氏  コメンテーター・日文研副所長・劉建輝氏                      

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