散歩道<5732 >                       600から移動

                    自由(1)「何もしない」のは悪か新たな自覚持ち享受を<1>
             キーワールドで考える戦後60年を幸福(1)~(2)、アイデンティティー(1)~(2)、自由(1)~(2)を報告します

         
 サッカーで最も自由に動きまわっている人は最も練習した人と思う。それは楽器や、演奏、将棋の世界でも同じだ。彼の自由は彼1人のものでなく、他の多くの人に影響を与える。小説を書くためには「待機」の時間が必要である。その自由が与えられていなくては成らない。これはスポーツのトレーニングの結果実現される自由とはまったく別の、創造性にかかわる「自由」の問題だ。しかし、何かについて考えるためには、この「待機」としての時間が絶対必要である。同じような意味で、空白を埋めるために「何もしない自由」「考えるために時間としての自由」を必要とする若者達のことを考えたい。私は大阪万博の時、中学2年生だった。技術は日々進歩し、経済は発展して、日本社会が克服すべき問題は最早「貧しさ」ではなくなっていた。子供が働かなくてもよいだけ、親の世代は豊かになっていた。その後における問題は豊かな社会における「不況」なのであって、60年代までの単純な「貧しさ」ではなくなっていた。だが大人たちは働いて豊かになることが幸せになることだという価値観から抜け出せなかった。だから、「待機」としての働かない「自由」を主張するニートに厳しい目を向けるのだが、何かをしない自由を「悪」だという最近の風潮は、私個人はきな臭いと思っている。みんな同じ働きをしたら、その社会は単純化しているわけで、どこかおかしい。  '05.8.18.朝日新聞作家保坂和志様

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