散歩道<5733 > 600から移動
自由(1)・「何もしない」のは悪か新たな自覚持ち享受を<2>
キーワールドで考える戦後60年を幸福(1)~(2)、アイデンティティー(1)~(2)、 自由(1)~(2)を報告します。
60年代に描いていた「未来」は物質的にはだいたい達成できているのに、世の中は良くなっていない。ニートの若者達はそのことに対して正直なのではないか。何かをしても良くならないのだとしたら動きようがない。彼らは本当の現実を見て、そこに働きかけたいと思っているのだが、現実への通路が見つからない。彼らは今いる日本の社会に対して違和感を感じているはずだが、学校教育の中では、日本を外側から見る視点を与えられなかった。さらに別の意味合いを持った「自由」も世界には流布している。アメリカや日本が「自由」な市場原理によって享受している「自由」だ。それらは、アジアやアフリカの貧困の上に成り立っている。両者は遠く離れているから問題が見えないけれど、アメリカや日本とアフリカを1つの教室にいれることが出来たら。「自由」が「強者の勝手」でしかないことは一目でわかるだろう。それは「人を殺す自由」を「自由」と呼ばないのと同じだ。ここで大きな自由をもっている側が、わずかな自由しか持たない側に譲歩し続けるしかないのではないか。こうしていくつかの「自由」を並べて見ると、私にはもう「自由」がいいものかどうかわからない。同じ言葉で語られながら中身がいくつもあって、しかも混同されて使われているからだ。「自由」を守るためには、運用・享受する人間の側に新しい自覚が求められているのだと思います。
'05.8.18.朝日新聞、作家保坂和志様
関連記事:検索<若者>