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アイデンティティー(2)「関係ないよ」が根底に・連帯する「個」こそ必要<1>
キーワールドで考える戦後60年を幸福(1)、(2)、 アイデンティティ(1)、(2)、 自由(1)、(2)を報告します。
日本の大学で、先月私の著書「天皇の逝く国で」を題材にした授業に招かれた。昭和天皇が88年に倒れた「自粛」という名の自主規制が社会を覆う中で、個人の意見を表明していたし少数派の日本人を取り上げた本だ。沖縄の国体で日本の日の丸を焼いた知花昌一様、自衛隊員だった亡き夫が護国神社にまつられることに異を唱えた中谷康子様、「天皇の戦争責任はあると思う」と議会で発言した本島等様、3人とも「それでも日本人か」などと激しく非難を浴びた。授業中、学生が「天皇を好きというひととも、許せないというひととも私は違う。この本に出てくる人たちと私は何の関係もない」と発言した。4月別の大学でも「反日デモの中国人は愛国教育を受けているが私は受けていないから、どう答えていいか解からない」との声をきいた。自分は天皇制とも愛国心とも関係ない・・・そういう姿勢表明のように聞こえて強く印象に残った。50年終わりから60年代前半、東京の電車内では、座っている客が前に立つ他人の荷物を持ってあげるという作法が自然に行なわれていた。又、80年代後半には多くの庶民が、自身の戦争・戦後体験と自粛現象との「関係」を考えていたと思う。今、他人や社会の出来事との関係を拒否することが、新種のアイデンティティーになってはいないか。「関係ないよ」という姿勢を根底に置くアイデンティティーだ。これは私自身の問題でもある。今回のイラク戦争の際、私もシカゴ大学の同僚も本気ではなかった。異は唱えたし反戦集会にも参加したが、そこまでだった。自分の子が戦場に送られるなら、私達ベトナム反戦世代は仕事を放り投げてでも立ち上がる。だが徴兵制がない現在、実際に戦地に行くのは社会的底辺の若者達だ。自国の戦争ですら「関係ないもの」として処理させる仕組みがそこにある。敗戦を境に、民主主義と反戦に日本人は燃えた。 2010年11月3日 '05.8.17.朝日新聞、シカゴ大教授ノーマ・フィールド
散歩道<55>IT社会と自己責任、<202>米国の何が問題なのか・無理解、無知、無関心、<300>自己責任、どちらの意見も正しい。<300>吉田秀和様の本・隣人に関心示さず、<922>時流自論・安全求め分断進む米社会、(1)~(3)