散歩道<5696>         私流に理解し、纏めて書きました。

                       講演会「移動する帝国」・・・戦時観光と絵葉書

 1930年代後半から1940年代までの日本で切手に貼られた多くの絵葉書から当時の状況を推察し、絵葉書がどのように使われていたかを調べてみた、当時日本には観光を目的とした旅行ブームが起こる、何十万人の人が旅行したという記録が残っている。その背景には観光を促進した鉄道、航路が発達していたこともある。その1役をかっていたのが1912年に出来たJTBである、JTBには東京本社のほかに、11の支社があり、そのうち3っは奉天(今の瀋陽)、ソウル、台北にあり、さらに帝国全土にわたって137の案内所があったようです。団体旅行や修学旅行、個人旅行のコースなどが盛んであった。1、釜山→ソウル→中国、2、北京→南京、3釜山→瀋陽(しんよう)、4、満州→韓国 5、大連も慶州も人気もあった。ビジュアルの絵葉書は文章よりも何倍か説得力があった。当時の広告で面白いのは薬の広告等である(仁丹や万金丹やボラギノール等)、絵の中には多くの絵や文字が色んな字体で入っていた。この帝国時代にかかわらず、平和という文字がやたらと使かわれていたことが印象深い。
 また、インフラの整備や温泉施設や儒教関連施設の整備など、近代化
(モダニズ)というイメージでとらえられ、それらは、今の時代にも活かされていると考えられるのだが、どうであろうか。
 この時代の絵葉書には、近代化、植民地化という両面から見なくてはならないと思う。芸術としての絵葉書、情報性という面の絵葉書の役目があったのだろう、第2次大戦前、中の外地から内地に送られるハガキは軍の検閲を受けるのが普通である為、発送する場所、食料の準備等も軍の移動時期が予想され秘密裏に行う必要があった。込みいった内容はそこに書けない、受け取った家族にとっては郵便物の絵葉書に書かれた絵や、手紙から近況を推察する以外にない。それだけが家族とのつながりであるからだ、そこには季節、山・川の風景、祭、動物、遊び、特産物等の写真が描かれて家族への思いがつづられていたと思われる。

'17.3.7. 講演会・「移動する帝国」・・・戦時観光と絵葉書(帝国期日本の文化と社会)  ポートランド州立大学教授・ケネス・ルオフ氏     <検>美術展感想、<検>戦争、 

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