散歩道<5669>

                            講演会・連続講座「芸術は何処へ」 (2)     

◎市場社会における芸能・芸術の評価について・中心に

 
 ○芸術家は誰を「受け手」として意識したか

  18世後半から20世紀、芸術家たちは神や王様に捧げる職人集団であった。その彼等の社会は平等で、顔、見えない、社会の(特定の人でなく)多数の市民のものであった。
 神を描いた作品は、教会、劇場で表現
(展示)された。それを鑑賞できたのは、貴族や豪族などなど一部の人達である。音楽は教会で、宗教音楽として演じられた(ハイドン・
  1796年ナポレオンの時代
モーツアルト1923年、 ラファエロ等、)    
 誰をパトロンにするかの選客論が重要な要素であった持続可能か(安定性、文化理解、応援等)。
 多数の人々を受け手と想定する市場社会(デモクラシー)では多数の人々は即パトロンとはなりえない。
 芸術と国家権力の問題:芸術にはどうしても国家の庇護は必要である。
 世阿弥
(能役者、能作者、歌舞伎中心の幽玄能に改変し夢幻能を完成させて能の芸術性を高めた)権力者を取り込む、記録として後世に残すよう努力された。
 英・仏でも現在でも文化施設は国家予算を何とかして獲得したいと必死である。

<検>講演会、<検>文化、