散歩道<5665>
真珠湾に思う・展望なき奇襲 倭寇そっくり
'1612.29朝日新聞・耕論・「真珠湾に思う」に実に興味深い記述がある。映画監督・原田眞人氏の文章である。
日本の対米開戦への過程は、外交的にまれに見る失敗でした。開戦の通告が遅れるなんて、国家の体をなしていない。でも私が興味あるのは、開戦にいたる昭和天皇とルーズベルト米大統領の対照的な姿です。1945年夏の戦争終結の前、昭和天皇が侍従に「この戦いは応仁の乱だね。もう15年も続いている」と語る場面があります。昭和天皇にとってあの戦争は31年の満州事変から続いていたと解釈しました。
天皇自身は戦争拡大も対米開戦も避けたかった。でも周りは近親者を含め好戦的な人が多い。彼は孤立していたと思います。一方、ルーズベルトは周辺に友人が大勢いたうえ、身近に親しい女性もいました。自由人でした。
ルーズベルトが天皇宛てに送った親書電報は間に合わなかった。直接のやり取りを望んでいた2人はそれを果たすことなしに、日米は戦争に突入してしまいました。
真珠湾攻撃とは一般の人の感覚では、山本五十六連合艦隊司令長官によって、絶対勝てない戦争だが主導権だけは取ろうとして行った、奇襲攻撃の成功例でしょう。司馬遼太郎さんとドナルド・キーンさんの対談を読んでいたら面白いことが書いてあった。司馬さんは「太平洋戦争は大規模な倭寇(わこう)だった」というんですね。室町時代から戦国時代にかけて倭寇が暴れまくった。でも「パっとやって、それでおしまい」。当時の中国の記録には「あいつらはほっておけばいいんだ、すぐ帰るんだ」とあるそうです。奇襲して、その後のプランはなく、戻ってしまう。それと似たのが真珠湾攻撃だというわけです。 たしかに、奇襲してもハワイや西海岸を占領し統治するなんて考えていなかった。ぱっとやって、ぱっと帰る。つまり日本軍は倭寇(わこうだった。あの攻撃を説明するにはこれが一番わかりやすい。その計画性の無さが、このあとの多大な被害を生みました。'16.12.29.朝日新聞・
<2552>応仁の乱を終わらせたのは・全く無意味な戦争であった。<検>戦争、