散歩道<5641>
TV(16.12/8)・ザ・プロファイダー・夢と野望の人生
なぜ日本は太平洋戦争へ踏み出したか(1)
満州事変が起こった背景に、中国での資源・石油、石炭の発掘をもくろんでいた時期、世界的には軍縮、国際協調の機運が盛り上がっていた。まさにその時、1929年
世界大恐慌が起こり、日本もその影響を受け、大恐慌に見舞われた。時の日本の満州の関東軍参謀は石原莞爾氏、奉天の満鉄を爆発させ戦の大義名文を自作自演で計画していたが謀略の情報が漏れた、それを知った石原氏はすぐに吉林に出兵した、手薄になった奉天へ援軍に朝鮮半島からの派兵を国に要求した。時の首相は若槻礼次郎氏、内閣(日本政府)は戦線不拡大の考えであった。状況から判断し止むを得ないだろうと(若槻は強くは止めなかったし、派兵に軍内部からも共鳴する機運も出てくるようになり)、朝鮮半島から軍が奉天に向かって進軍した(当時、朝鮮半島は日本の統治下にあり、これは海外派兵に踏み込むという事になった)。その時の中国軍は27万人、関東軍は1万人、(当時、日本国民も、マスコミの連戦連勝報道の情報にもあおられ、行け行けどんどんと戦に対する高揚感があった)。そうして既成事実をつくって(石原莞爾氏のやり方、下克上:本部の戦線不拡大の方針に従わず戦線拡大を取り続けた)後戻り出来ないようにした。しかし、この石原の考えは世界絶対平和確立の為必要と思っていた彼の信念の考えでもあった。叉、吉林・奉天・大連の日本軍が占領していた(鉄道の沿線領域)範囲(諸外国もこの範囲は認めざるを得ないだろうと考えていたとも思われる)しかし、それ以外の地域・錦州を攻撃したため、諸外国からは容赦されなくなり敵対関係となり、石油などの燃料が輸入できなくなったり、外国と日本との色んな条約が破棄されるようになる。
TV・コメンテーター・埼玉大学教授・一ノ瀬俊也氏、日本福祉大学教授・川田稔氏、慶應大学教授・片山杜秀氏、慶応大学教授・福田和也氏、ジャーナリスト・中江有理氏、俳優・岡田准一氏、
<検>戦争、