散歩道<5642>

                              TV(16.12/8)・ザ・プロファイダー・夢と野望の人生
                                      なぜ日本は太平洋戦争へ踏み出したか(2)


 ここで石原は参謀本部
(日本)に戻される、(今の戦力では日本軍は何年、続くかしれない戦争を継続することは出来ないと考えた)。彼の計画では重要産業5か年計画で鉄2~3倍に増産、航空機10倍に増やす計画である)。それが出来る迄戦線を拡大することはやってはいけないと通達した(その背景に、ソ連の兵力が3倍、戦車、航空機が5倍の戦力を持っていることの情報を入手したからである)にもかかわらず、通達を流してわずか2ヵ月後盧溝橋事件で日中戦争が勃発した。上海にも戦線は拡大した。
石原莞爾氏の後を継いだのは武藤章氏(参謀本部作戦課長である)彼は対支一撃論であった
(結果的には戦争は終ることなく続くことになる)。武藤は奉天の日本軍1万人に向け中国6万人が攻めて来っっあるので本州から軍を派兵してもらいたいと懇願する。一旦は石原も派兵に賛成する(しかしこの情報は間違ったものであった。実は中国軍はごく少ない人数であった)。武藤は下克上:本部の戦線不拡大の方針に逆らい内蒙古まで戦線拡大を取り続けた)。それを止めようとした石原の戦線不拡大の方針は無視され、打つ手を無くした石原は参謀本部を去ることになる。その後、太平洋戦争(1941.12.8)に突入することになる.その戦争も1942.6.5のミッドウェー海戦から敗北が始まることになる。