散歩道<5190> '
インタビユー・オピニオン・リフレ論争の限界(3) (1)〜(5) 続く
雇用の不安見直せ 貨幣だけに頼らぬ 助け合う経済の芽
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・・・貨幣と人間の関係も変わったということですか。
「多くの人たちが、富を貨幣で換算することに疑問を持ち始めています。例えば住宅を買うときも、価格がいくらではなく、家族だんらんの温かい雰囲気にできるかを大切にしている。貨幣で何でも手に入る経済は、生活の全てが貨幣で支配されているような、どこか居心地の悪さがあります」
「この問題はアダム・スミスの時代からありました。人間がモノの価値を実感するのは役に立つかどうかだと考えて、スミスはこれを『使用価値』と呼びました。一方、貨幣を介して市場で取引されるのが『交換価値』です。人間にとって大事なのは使用価値だ、という気持ちがスミスにはあったと思います。ただ、当時の経済思想家たちは、経済の体系を秩序だって説明するために、価格で表せる交換価値を選んだのです」
・・・どういうことですか。
「主観が入り込む使用価値を基準にするのは難しい。例えば同じ定食を食べても,、仲のいい友達といっしょの時はおいしいけど、気まずい人とだったら、ひどい味だったということがあるでしょう。使用価値は、お互いの関係のなかで価値が変わるのです。ところが交換価値は、さっきの住宅の例でいえば、『温かい雰囲気』といった貨幣で換算できないものは反映できない。こうしてマクロ経済から見た『富』の数字と、私たちの生活実感としての『豊かさ』が乖離して言ったのです」
・・・経済学や経済政策がとらえる「経済」から、人々の生活の視点が抜けたということですか。
「そうです。20世紀以降の経済学では、使用価値は議論されなくなりました。考えれば混乱するばかりだからです。交換価値が高まれば使用価値も高まるはずだ、つまり経済が成長すれば生活も豊かになるだろうと仮定し、暗黙の合意でそれ以上、考えないで来たといえるでしょう。政府と個人の生き方が一致していた日本の高度成長期のようなケースは財政政策や金融政策が効きますが、いまのように貨幣で価値をはかる経済に疑いを持ち始めている時には、マクロ政策で景気を浮揚しようとしても限界があるのです」
13.3.13.朝日新聞・哲学者・内山 節(たかし)さん
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