散歩道<5151>

                        中信・「いで湯の旅」・『貸切船で行く、湯ったり小豆島の旅』

 今日は('13.1.25〜26)、昨年に続いて第28回、京都中央信用金庫の旅行である。京都からの道中、岡山後楽園の見物、実にきれいでよく整備された日本三名園の一つといわれる歴史ある庭園である。日生港から大部港にフェリーでバスごと乗船、私にとって、小豆島は丁度50年ぶりの訪問である(当時担当地区であった)。風が強く、実に寒い日であった。そのためか本州や四国の山の稜線が実にはっきりして、瀬戸内海の島々もくっきりと見えた。このように見えるのは年に数日よりないという。海に面した漁村の街並みは、家の作りこそ違うが、世界共通の港町の印象を受ける。
 この旅行に行く前から、昨年に続いて舞台で小物を使って宴会を盛り上げてほしいという要望は受けていたので、作戦を入念に描いていた。去年はちょんまげをつけ「矢切りの渡し」を歌ったが、それが良かったと、本当か?どうか?乗せられていたので、今年は皆が知っている歌として「憧れのハワイ航路」を歌うことにした。調べて行くうちに、この歌は私が当時(昭和38年・1963)小豆島に高松から毎月連絡船で渡たっていた時、船上で必ず流されていた歌であることがわかった。
 船長の名の付いた帽子
(手書き)、眉毛、付け髭や、頬ひげで登場、用意したのは、テープ(投げる)、ピカピカ光を点滅するメガネ、マスカラス(光点滅)、太陽(赤い風船)と、黄金月(黄色の風船)とそれを吊るす釣り棹である(太陽を沈ませたり月を上げたりする)これは歌に合わせて友達(超高齢者?)に手伝ってもらったが、全くタイミングが合わず歌が終わった後になって登場した(太陽が昇った)為、大爆笑で、皆様から大拍手を頂くことになり、成功といってもいいのだと思った次第である)。
  次に歌われた人達
(10人程のグループで)については、会社の慰安旅行の延長演芸と思われたようで度がすぎたようであった。(宴会に参加した数人の女性からの反響を聞き分かった)
 
 次の日はオリーブ公園・今から100年前
(明治末)西洋(ギリシャ*1からオリーブの木を小豆島で育てることに長期にわたった研究の末、村全部がオリーブで一色で村に根付ついている。バジルや、化粧水、オリーブの木、ワインや、菓子、飲み物等。これが縁で今は、ギリシャと姉妹都市になっているという。
 佃煮工場の見物・醤油や、佃煮、これも各種あり選ぶのが大変なほどである、試食するとおいしかったので皆さんが我先と買った。
 「24の瞳」映画村見物・壷井栄文学館、彼女の原稿や書籍、交友関係や、当時の日本の軍国主義の中で夫を助ける彼女の話や、その苦悩の中で強く生き抜いた彼女の逞しさが見る人の共感を呼ぶ。当時の写真や、映画のシーン等がここで見れる。木下恵介監督の映画が上映されていた。
 当時の日本社会は近代国家をめざして急速に社会の変化を受け入れて行くと同時に、日露、日清戦争、満州事変などを経て軍国主義社会に移行して行く。実に暗い時代に向って行く時の流れであった。国民は極端な貧困生活を強いられることになる。明るい希望が日本から消え去った時代の到来であった。
 現代の日本社会
(目的を失いかけた今の日本と当時の共通環境が)が見直され、木下恵介さんの映画が再度脚光を浴びており、TVで上映され話題になっている。

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