散歩道<5082>
                          面白い話・色に関して・第3 弾                   面白い文章でもある

かたえくぼ:出陣式:ホラ貝が鳴るゾ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・政党公約(駄裸)

色に関しての第3弾
1、京都の紅葉が実にきれいということで、観光客が今年は増えたという報道だ。中国人は減ったようだが、欧州人、他の東南アジアの観光客、は増えたようである、自分でも市内を歩いてみて、混雑さと道路ですれ違う人の会話でそれは確認できます。
 これは、京都には、何百年と自然が文化の歴史と共に残されていること、それは昔の人が
考えたかどうかは分からないが)、自然や文化はとにかく素晴らしいものだ、価値あるものだと認識し(自分の時代で残せる自然や文化はごく小さなしれたものです)、皆が大切にしようと努力して現在に残してきたのだと思います。

 この件に関して私は別のことを考えています、それは、液晶テレビの普及や、デジタル技術の革新が実に美しい自然を映し出すことに成功し、自然をそのままの近い状態でTVで見ることが出来るようになったからです。そうなると、どうしても本当の自然の美しさに接したくなるのはごく自然なことだと思います。その見たい状態が、今の京都には残っているからなのだと思います。そして、人は、自然が表現している以上の美しさを器械では表すことはできないと気が付いたのだと思います。
 これは、2年前に行った南フランス・アヴィニョン・サン・ベネゼ橋の上から、又ポン・デュ・ガール橋を下から見た景色です。日本発前に、TVでその美しさを記憶しその場所に立った時、記憶のままのその自然の色が目の前にあったのです。

 ここで、エル・グレコ展で会場に書かれた彼の言葉
(色彩や数字・数値に関して)を紹介すると、
 1、「思うに、色彩の模倣こそ最も困難な問題である。なぜならそれは賢い者を欺いて見せかけと本物とを間違いさせるからである」。
 2、「なぜなら、真実のところ、諸芸の至高のものは言葉で置きかえたりすることはできず、絵画で何かをやり遂げた人は決して寸法を測ったりはしません」。

  パソコンとの関係では次のように考えます。「パソコンの色を数値で示そうとしているが、それは無駄と無理がある、それは簡単なようで不可能なことの代表である」。細かい微妙な色のニューアンスの差は数値では表せないと思います。この微妙な色の表現が科学か芸術かの分岐点?ということになるのかと、生意気なことを考えて塾で指示通りの色が出せなくて苦労している今の私です。

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