散歩道<501>
散歩道・3250回記念・面白い話大集合(53)
331、尾形光琳(1658-1716)は実家は染色屋であったから、絵柄に染色屋が使っている技術(同じ模様を何度も使う)を使うことに精通していた、金箔を使う技術も大変上手であったようだ。この金箔を使うことが、贅沢の極みであると彼は考え(価値)、受け取る人も同じ考えを持っていると信じていたため為、金箔を使ったのだろう。散歩道<736>尾形光琳・発想は生家に
332、クリムト(1862-1918)は愛の極致を表現する絵の背景に、金箔(金細工)を使ったのではないか。彼の作品は尾形光琳の絵を参考にしたと思われる。作品"接吻”の衣装(男は菱形模様、女性は楕円形模様)や、背景の画面に使われた金細工。金が一番信用できるものと考えたのではないか?。(世紀末の当時、人は何を信じていいか分からなくなっていたが、ひょっとして金だけは信じられると考え、それを最高の表現を描き出せると判断したのではないか?私の想像)。散歩道<3280>日曜美術展・クリフト、
333.漫才にはボケとツッコミがある、ツッコミは普通の価値観、常識であったり建前であったりします。それに対してボケはあえて外す、つまり別の角度から見たり、非常識な考え方をぶっつけたりして意外な視点に持ち込んでいく。そこから面白さが生まれる。現代の日本はツッコミばかりがまかり通って当たり前のことや建前がきまじめに語られすぎています。だから窮屈だし、誰もが閉塞感を抱き元気がなくなっているのではないですか。本音を言ってみる、笑われるかもしれない提案をしてみる、そこから空気の流れが変わり、思わぬ花も咲く。散歩道<3300>
334.自分の鮮度を保ち、賞味期限*1を延ばしていくためにどんな方法があるのか。どんなことにも多くの側面があります。常識と非常識も変わるし、肩書きだって変わる。自分は何かにしがみついていないか自分だけ正しいと思っていないか。本気で見つめなければならない。散歩道<81>*1学歴、<1274>*1熟語、<1458>*1お笑い、<2029>*1使用年数、 散歩道<3300>
335.日光を見るまでなぜ言えない?「結構」
日光を見るまで結構というな」とは、それほど日光が結構な場所ということだ。しかし、古人はこの言葉に、もっと深い意味をこめていたフシがある。結構とはもともと、建物の組み立てぐあいを指す言葉で、昔の人は、建造物を褒める時に、「結構がすぐれている」ことを「みごとな結構だ」と言い表した。それがだんだん「結構」と言うだけで、みごとなことを表すようになったという。日光の中心は日光やはりすばらしい建物だから、「日光を見るまで結構というな」は、けだし名言ということになる。この伝でいけば、食べ物を断る「もう結構」は、「すばらしい建物のようなおいしい料理を、もう十分いただきました」を一言で言ったことになろう。樋口清之
336.元は、羊肉のスープだった「羊羹」(ようかん)
大豆に砂糖をたっぷり練りこんで,寒天で固めたお菓子を、なぜ「羊羹」というのか。羊(ひつじ)とどういう関係があるのか、不思議の思う人も多いだろう。もともと羊羹という言葉は、鎌倉時代に中国に留学した禅僧達が持ち帰った"天心”、つまり文字通り羊の肉で作った羹(あつもの)をさしていた。”アツモノ”というのは、羹に懲(こ)りて膾(なます)を吹く」という言葉があるように、肉や野菜を煮たドロリとした熱いスープのことだ。それが、羊肉を食べる習慣のなかった日本に入ってきて、中身が色々変わっていくうちに、いつのまにか今のようなお菓子が出来上がった。名称は全く変わったのに、名称だけがそのまま残ったという典型である。樋口清之