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散歩道1700回記念・面白い話・大集合(24)
152.クールという言葉
すてきな、スマートな、気のきいた、知的で冷静な感じの(ジャズ)、というように、日本の文化がこのような言葉で外国に紹介されるそうである。洗浄用日本式トイレ、寿司、セーラー服、ハヤシライス等、(外国名のため輸入されたと考えるものの中に、日本人の発想のものが実に多いそうだ)、散歩道<1744>
153.義太夫のアドリブ演奏「さわり」
義太夫(ぎだゆう)浄瑠璃では、ジャズのアドリブ演奏のように、義太夫節とは違った音曲の節を挿入することがある。これを他の節にさわっているという意味で「佐和利」「さわり」と呼んでいるが、転じて、曲中での最も聞きどころ、聞かせどころをさすようになった。普通は、『艶姿女舞衣』(あですがたおんなまいぎぬ)の有名な一節「今ごろは、半七さんどこにどうしてござろうぞ・・・・・」のように、いわゆる「くどき」の場合を言うことが多いようだ。そういえば、社長のスピーチでも、「さわりの部分といえば、有名な武将の言葉を拝借して、社員をくどく?といったケースがよく見られる。はたして社員は、感銘して聞いているのだろうか。
154.考えない練習が上達しないわけ「稽古」(けいこ)
ピアノや習字、お茶、お華からさまざまな学習塾など、いまやお稽古ごとは、教育ママの最大の関心事だが、そのお稽古がさっぱり上達しないむきに絶好のアドバイスになろうというのが、この語の本来の意味だ。「稽」には、もともと、「つきつめてかんがえる」という意味がある。「荒唐無稽」(こうとうむけい)は「荒唐」は、「でたらめ」という意味があるから、「でたらめで、考えに根拠がないこと」の意になるし、稽査といえば、考査と同じ意味で、考えてくわしく調べることである。同様に「稽古」は、「古(いにしえ)のことを考える」つまり「古い文物で学問する」ことがもとの意味で、考えてしない稽古が上達しないのも当然というわけだ。樋口清之様
155.けりがつく和歌の末尾を統計にとると・・・・・「けりがつく」
「終わりよければすべてよし」とは限らないにしても、終わりがよくなければ万事、画竜点睛をことは確か。というわけで、和歌や俳句の世界でも、昔からとりわけ歌や句の末尾に意を尽した。その中で、助動詞「けり」で終わるものが多かったため、昔の人は、歌が一首完成することを「けりがつく」と言った。たとえば、『百人一首』では、「けり」で終わる歌が九首、同類の「ける」「けれ」を含めると16首になり、断然トップ。もっとも、「かな」は単独で12首あるが、「かながつく」では、仮名がつくと紛らわしいためか、さっぱりけりのつく感じがしない。もめごとのけりも、歌を一首ひねるぐらいの優雅な気持ちでつけたいものだ。樋口清之様
156.懐が温かければ空腹も忘れる「懐石」(かいせき)
昔、修行中の禅僧が、あまりにも質素な食事のため、つねに原をすかしていた。これでは厳しい座禅修行中にも心が乱れてはいけない。そこで一計を案じ、懐に温かい小石を入れて空腹をまぎらした。こんな故事から生まれたのが、茶席料理の「懐石」だ。故事にもある温かい石のことを温石(おおんじゃく)といい、「たくさんはございませんが、温石を懐にいれるぐらいの役に立ちましょう」という主人側のへりくだった心を言い表している。「石を抱きて野に唄う、芭蕉のさび」とまではいかなくても「懐が温かい」、「懐具合がいい」のは、空腹だけでなく、あらゆる病気、とりわけ”金欠病”の特効薬として、現代人にも霊験あらたかなものがあるといえよう。樋口清之様