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外交と歴史・日中あつれきの底に流れる主観性の増長(2) (1)〜(2)続く
戦後60年の日本政府の平和外交や途上国援助(ODA)による中国発展への貢献、さらに村山首相談話以降の歴代総理が繰り返している戦争の反省と謝罪の事実をほとんど知らない。中国政府は暴徒化した各地の市民の行為について日本の市民と政府に未だに陳謝もせず賠償も払っていない。してみると、行為の暴力性はともかく「愛国無罪」なるデモ参加者の主観的意図について国定教科書の公式解釈が鼓舞してきた愛国心の発露としてこれからも容認しつづけるのだろう。4月の起きた結果については事件の背景となる「遠い原因」以外に、直接動機となる「近い原因」も絡んでいるだろう。5月に入って暴徒の犯罪の一部が法的に摘発され反日デモの暴力化は妨げられた。それどころかデモそのものも封じこめられた。これはデモの「近い原因」の1つがとりあえず抑えられたことになる。その一原因とは、デモの発生にしても抑制にしてもある程度まで中国共産党という歴史解釈の意思が介在した事になる。例えば「南京虐殺」についても、歴史の筋書きと原因の選択権をもつ中国側には統一した見方も成立するかもしれない。しかし、研究解釈の自由と学説の多様性をもつ日本側には、データーの細部まで一致した歴史感などは成立するはずもない。「南京虐殺」が起こったという事実は否定できないにしろ、犠牲者をめぐる数字や証言が様々に食い違っている事実は、最終的に万人に納得させる「歴史の真理」の成立に難しさがあることを示唆している。この点では歴史は「推測」という性格を一面でもっており、主観性の要素を消し去ることは出来ない。それを出来るだけ客観的な「真理」に近づけていくのは、学問としての歴史学の仕事であっても、歴史解釈の政治外交への持ち込みではありえない。この点でナショナリズムと愛国心は、歴史解釈につきまとう「推測」や主観性を増長させる危険な誘惑である。ナショナリズムの過剰性については日本よりも中国のほうが強いことは、4月の反日デモから5月の呉儀副首相の突然の帰国とった事態でも証明される。一般に歴史認識は共有できないものではない。ただ現在の日中関係は極度に入り組んでいる、解きほぐすには大変な努力を必要とする。例えば、日本を戦争に導いたA級戦犯は中国などアジアの人々だけでなく、日本人に対しても指導者として責任をとるべき軍人と政治家だったという視点を忘れてはならない。世界史における国家のけじめとして、戦争責任免罪につながる行為をするべきではないのだ。こうした努力の積み重ねこそ、日中双方にとって市民の愛国心や反発を過剰に揺さぶらずに、歴史認識の主観性を出来るだけ薄める結果を着実にもたらすにちがいない。
'05.6.1.朝日新聞、東大教授・山内昌之氏
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