散歩道<4658>

                              展示会・京の小袖(きもの)(1)               (1)〜(2)続く

この種の知識についてはよく分からないので、本に書かれた文章を要約してみたい。

 桃山時代:刺繍と金・銀箔による繍箔の盛り上がりがある厚味に、生命力豊かな存在感がある。 絹が一般民衆まで使われるようになった。綸子
(りんす)や沙綾(さや)、縮緬(ちりめん)、ビロード、金襴(きんらん)、緞子(どんす)など輸入されたり日本でも作られるようになった。
 江戸時代・慶長期:明るく自信にあふれた表現は小文様が集中したり、散らされたり、暗く重く抽象感にあふれた、極めて内省的なものに変化しています。
武家諸法度の制定などの影響を受ける。
 江戸時代・寛文期:明暦3年
(1657)江戸市中の大半を焼き尽くした大火は江戸時代の武家文化を焼き尽くしたので急きょ小袖を京都に発注した。その焦土の中から新しい町人文化が生まれた。
 江戸時代・元禄期:友禅染、軽妙・平明な美しさ、
1683年の奢侈禁止、豪奢重厚な染織が行われなくなり、それに抵触しない染技へ、人々目が向けられた。(古風平安時代)と今様(江戸時代)が複雑に絡みあった柄模様ができた。

 光琳模様(1716-1740)、それは線質に見られます。丸みを帯びた線は力強く太細をしめつつ、抑制を効かせた豪放さで柔らかに草花を表します。草花の形は厳格な写生を基本として特色を捉えつつ、むしろ省略に傾きます。光琳の燕子花(かきつばた)図屏風のように作品の中に歴史的物語などの文学的要素を感じさせられるものを柄に求めていたと思われます。
 江戸中期、享保・元文期:綱吉の勤労と倹約を旨とした「享保の改革」とよぶ政策が取上げられた。柄模様にも引き締め政策に反映しているように思われる。当時、光琳の植物模様である「光琳松」「光琳梅」が町方の女性の間で爆発的に流行した。
 
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