散歩道<4641>
                  世相(245)2つの記憶に残るNHK時代劇蝶々(ちょうちょう)夫人、2、NHK大河ドラマ・江(ごう) <4642>       ・・・・ 発想を変える

1、NHK時代劇・蝶々夫人、 
 
'11.11.19と.26.放映、日本の長崎を舞台に展開した、蝶々夫人(マダム・バタフライ)とアメリカ海軍士官ピンカートンの悲恋を描く、プッチーニ作曲の歌劇。第2幕の蝶々夫人のアリア「あるはれた日に」は有名。 
 明治初期、日本が大国列強の仲間入りに必死になっていた頃の話。当時は中国遼東半島の帰属を巡ってロシア、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、日本が競っていた。そこにアメリカ軍艦が修理の為、長崎に立ち寄る、その中のアメリカ海軍士官ピンカートンが長崎の芸者”お蝶さん”と恋におち、結婚もし、二人の間には子供も宿す、軍艦の修理が終わると同時に必ず日本を訪問することを約束し彼は日本を去る、しかし彼には本国
(米国)にれっきとした妻がおり、その妻が来日し、お蝶さんと面会し、お蝶さんが生んだ子供を引き取ってアメリカで育てると約束する。息子が育つ為に、両親がいることが大切と考えた”お蝶さん”は生まれた子供をアメリカ人の彼の奥さんに渡して後、将来を悲観した彼女は死を選ぶ。
 ここで当時の日本の背景を考えると。当時の武家は生活に余裕はなかった。武家の家に生まれた”お蝶さん”だったが両親に死に別れ、騙されて、女郎屋に売られることになる。そこで舞妓になり、彼と会い恋におちいる。当時の都市の男の遊び場所として賑わったのが、遊郭ということになる。
 当時は
国内でも人身売買が行われていたのは珍しいことではなかったようだ。”お蝶さん”には、精神的には武士の家系に生まれた者(女でも)としての誇りは消えなかった、その誇りが彼女を死に追いやったのだと思う。お蝶さんの祖母と母は(ペストにかかっており)、子供に感染することを恐れ、舟で沖に出て自害する。
 この当時の日本には
(世界的に見ても)病気を治す薬も治療法もなかったのである。それほど20世紀初頭は科学(化学)が進んではいなかったのである。(ペニシリンは1929年フレミングが、青かびから発見した抗生物質まで待たなくてはいけない、秦佐八郎のサルバルサンも1930年に発見された)。又、当時の日本とアメリカの国力の差は歴然としており、対等に条約が結べる関係に持ち込むのに、戦後(1945年)以降まで待つ事になるのである
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備考この作品を手がけた市川森一さんが逝去された。ご冥福を祈ります。彼はインタビユーの中で、脚本は何本書いてもそのままにされたままで、残され記録されることもないのは、残念です。その事に気がつき、10年前から記録として残す作業をやっている2011年12月12日